舞台はパリから電車で2時間のベルサイユ宮殿。わずか14歳でオーストリアからフランスに嫁いだマリー・アントワネットがその人生の大半を過ごした宮殿です。
規則だらけの息苦しい宮殿生活とは裏腹に、王妃が愛した小トリアノン(離宮)や王妃の村里(アモー)では、自由奔放な私生活やその装飾センスを垣間見ることができます。
フランス史上、最も魅惑的な王妃が全盛期を過ごしたベルサイユ宮殿は世界遺産でもあり、現代でも桁外れな美しさと夢のような王妃の暮らしに感動すること間違い無しです!
マリー・アントワネットの行き過ぎた浪費が引き金を引いたと言っても過言ではないフランス革命。マレ地区にあるカルナヴァレ博物館には、当時革命の渦に飲み込まれた王家の身の回り品のコレクションが数多く展示されています。
王妃の愛用したハイヒール、扇子や小物入れまで全て当時も物がそのまま展示されています。また、フランス革命ルームには、王妃の遺髪も残されており、貴重な最後の様子を見ることができます。
写真撮影が自由にでき、入場料が無料であることも嬉しいポイントです!
マリー・アントワネットが処刑されるその日までを過ごした監獄がパリの中心地・シテ島にあるコンシェルジェリーです。もともと、フィリップ4世の宮殿として建てられた為、美しい外観で全く監獄には見えません。
フランス革命時には、王族や貴族を収容する監獄として使用され、一度収容されると生きては帰れないと言われていました。王妃には、牢獄の中でも見張り付きの特別室が設けられ、現在でもその様子を見ることができます。
ベルサイユ宮殿での豪華な生活とはがらりと印象が変わる、処刑を待つだけの監獄生活。この部屋で王妃は何を思って過ごしていたのか等、想像しながら見ることで、より現実的に王妃の一生を感じられること間違い無しです。
フランス革命期に「革命広場」と呼ばれたコンコルド広場では、マリー・アントワネットを始め、約1300名がギロチンで処刑されました。
コンコルド広場はパリの中心地に位置し、隣接するのは緑が美しいチュイルリー庭園やルーブル美術館、そして反対側にはシャンゼリゼ通りが伸びています。革命後、コンコルド(和合・調和の意味)広場と名前が改められ、現在ではオベリスクや噴水が美しく、過去に血塗られた場所とは思い難いほど穏やかです。
オベリスクのところに、王妃が処刑された場所であることが記された石碑もあるので見逃せません!
マリー・アントワネットに焦点を当てたフランスのモデルコース、いかがでしたでしょうか?
全盛期の華やかな舞台はベルサイユ宮殿を中心に、フランス革命勃発後から晩年はパリへとその舞台は変わります。
短い人生ながら、波乱万丈であった王妃の一生はインパクトが強く、フランスを知るには欠かせない存在の1人です。また、王妃の生き様は現在のフランス文化(香水・ファッション)にも通じることが多いので、ゆかりの地を辿るとストーリー性のあるフランス観光を楽しめます!
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(2024/12/13更新)
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