吉野ヶ里遺跡とは、佐賀県にある日本最大の遺跡群。一説ではあの魏志倭人伝に記載されている邪馬台国ではないか...と言われている遺跡です。現在に至っても発掘調査は進められており、同時に公園も拡張しています。
その吉野ヶ里遺跡の全体を写真に収めよう...としましたが、広すぎて収まりきれませんでした(汗)。右側の一番大きい主祭殿、左側の小さい建物が居住区です。じっくり見るには一日中かかります。
弥生時代は、クニ(現代でいう村規模の国々)同士の争いが絶えず、村を守るために深く大きな濠(ほり)で村を囲み、守ったのです。
それが、遺跡に入るときに最初に見るこの濠。歴史の授業で習った、いわゆる環濠集落を囲んだ堀ですね。実際に見てみると、そんな簡単に(?)言える程ではないくらい深いです。降りて体験することもできますよ。人の1.5倍くらい深く、距離もどれだけ続いているんだろうというくらい長いです。
こちらが一般居住区です。かやぶき屋根で、ぽつぽつ家があるのがわかります。部屋は地下に掘るようにあります。見た目は狭いかと思いきや、1家族4人くらいだと、ストレスなく過ごせる広さかな。
ちなみに古代の出土品から、古代米、ソバ、ドングリ、アズキなどを食べていたのではないかといわれています。見下ろすと、多くの家族がこの地で生活していたんだな...、と、ノスタルジックな思いに浸ります。
10月には、事前に申し込んでおくと、竪穴式住居宿泊体験ができるイベントもありますよ。
そして主祭殿は、いかにも政治の中心がここで行われていました!! という神々しい、遺跡内最大の建築物です。1階ガレージ付き、中二階建てのベランダ付き1戸建てというイメージ。
階段が付いているのは現代にも相当する建築技術があったのだなと感心させられます。こちらは村の真ん中に建てられており、敵の襲撃を発見でき、また、住民と政治の拠り所を守ることもできる場所とされていたと考えられています。もしかするとここで、あの卑弥呼が政治を行っていたのかもしれない...と考えていると、まさしくそれを彷彿とさせるように、女のひとの人形が座っていました。
本当にあの邪馬台国だったのかもしれませんね。
そして、一番有名なのが、この写真。歴史の教科書で見覚えありませんか?甕(かめ)の中には、青銅の剣と翡翠の玉の数々。こちらが国指定重要文化財として指定されている甕型のお墓です。このお墓は居住区から距離のある場所に丘陵として建てられ、王族の多くがここへ埋葬されたそうです。
ちなみに、このような発掘作業、実はパートのおばさま達がやっているって知ってました? 歴史好きにはもってこいのアルバイトですね。
通常は、大人400円、子供80円の料金で入園できますが、10月にはこれまで述べた全エリアの無料開放日があり、竪穴式住居エリアから主祭殿エリア、また今回記載していない農耕地の跡まで、隅々を見学することができます。
特に10月はイベント満載の月ですので、HPで調べて行ってみてはいかがでしょうか。
吉野ヶ里遺跡は目に見えて巨大です。全国最大級です。その偉大さは集落の跡、田畑の跡からわかります。そんな遺跡群ですが、その当時暮らしていた人々に思いを寄せて、想像できるようになったことこそ、現代に暮らす我々の大きな宝ではないでしょうか。
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