20世紀東西冷戦の象徴!ドイツ「ベルリンの壁」の跡を訪ねよう

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20世紀東西冷戦の象徴!ドイツ「ベルリンの壁」の跡を訪ねよう

20世紀東西冷戦の象徴!ドイツ「ベルリンの壁」の跡を訪ねよう

更新日:2016/06/28 15:22

望月 彩史のプロフィール写真 望月 彩史 文学修士(西洋美術史)、ライター

第二次世界大戦の後、東西2つの国に分割された敗戦国ドイツ。ベルリンは東ドイツ地域にありましたが、米、英、仏、ソ連による分割統治が行われていました。共産主義国の東ドイツから自由な資本主義社会である西ベルリンへ、市民たちの逃亡者が増えたことから、それを防ぐために西ベルリンを囲むようにソ連と東ドイツ政府が作った壁。それが「ベルリンの壁」です。現在ベルリン市内で見られる”壁”の跡をご紹介しましょう。

ドイツ統一の象徴、ブランデンブルク門

ドイツ統一の象徴、ブランデンブルク門

写真:望月 彩史

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最初にご紹介するのは、ベルリンの中心にあるブランデンブルク門です。この巨大な門は、18世紀末にギリシアのアクロポリスを模して造られ、ベルリンの”顔”として、歴史的にも様々な役割を担ってきました。

しかし、門のすぐ前に「ベルリンの壁」が造られてからは廃墟同然で放置。誰も通り抜けられない門は冷戦の象徴となりました。1987年、アメリカ合衆国のレーガン大統領が、ソ連のゴルバチョフ書記長に宛てて「壁を壊しなさい」という演説を行ったのもこの門の前でのこと。また、1989年に壁が崩壊した夜には、門の前の壁に上って記念撮影をした市民たちの写真が数多く残されています。

再びドイツが統一された今、嘗ての冷戦の象徴は「統一のシンボル」となっています。現在この場所には”壁”そのものは残っていませんが、道路には”壁”があった場所が線で示されています。

当時の様子が残されている「ベルリン・ウォール・メモリアル」

当時の様子が残されている「ベルリン・ウォール・メモリアル」

写真:望月 彩史

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ベルリンの壁の一部はベルリン市内に何カ所か残されていますが、ベルナウアー通りに面したこちらの施設では、積極的に保存し、”壁”とその犠牲者たちのことを後世に伝えていく役割を果たしています。道に沿って約1.4kmに及ぶ広大な屋外展示に加え、資料センターとビジターセンターがあります。資料センターの展望台からは、辺り一帯が見渡せるので、訪れることをお忘れなく。

写真では一見のどかな公園のようにも見えますが、右側に続くのが、残った”壁”。既に撤去されて失われた部分には、金属のポールが並び、嘗て壁がそこにあったことを示しています。ところどころに見える十字架や石碑は、壁を越えようとしてここで犠牲になった人たちを追悼するためのもの。逃亡者がいないか見張るための監視台や、脱出のために造られたトンネルの場所がわかる目印などもここで見ることができます。

壁の犠牲者は136人

壁の犠牲者は136人

写真:望月 彩史

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1961年8月13日から1989年11月9日まで、約30年間存在していたベルリンの壁。壁のために犠牲になった人たちの数は、136人とされています。ベルリン・ウォール・メモリアルの屋外展示場には、写真のように犠牲者たちの肖像が並べられています。

この施設が面するベルナウアー通りは、最も劇的な脱出劇のあった場所の1つです。ベルリンの壁が建設された当初、この地域では住民が住んでいるアパートが”壁”の一部として使われたため、アパートは東ベルリン、目の前の通りは西ベルリンという事態に。そのため、東ベルリンの市民たちは次々と、アパートの2階の窓から脱出を試みたのです。

残された”壁”がアート作品に!「イーストサイド・ギャラリー」

残された”壁”がアート作品に!「イーストサイド・ギャラリー」

写真:望月 彩史

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シュプレー川沿いに残された「ベルリンの壁」は、21か国116人のアーティストが参加した屋外ギャラリーとなっています。壁が壊されて間もない1990年に描かれ、2009年に参加アーティストたち自身の手によって修復されました。長さ1,316mは世界最長、101面の大きな壁面に描かれた作品を無料で見ることができます。

壁画の中でもとくに有名なのは、ソ連の指導者ブレジネフと東ドイツの指導者ホーネッカーの「兄弟のキス」を描いたものです(写真参照)。作者はロシア人画家ドミトリー・ヴルーベリ。この二人が実際にキスを交わしている1979年の写真をもとに描かれました。ロシアの文化では、親しみを表すために男性同士でもキスをすることがあるのだとか。当時のソ連と東ドイツの特に密接な関係が伝わる、衝撃的な1枚です。

※落書きなどによる破壊から壁画を守るため、2015年にイーストサイド・ギャラリーの壁の前にはフェンスが設けられ、現在はフェンス越しに壁画を見る仕様となっています。

「チェックポイント・チャーリー」と「壁博物館」

「チェックポイント・チャーリー」と「壁博物館」

写真:望月 彩史

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「チェックポイント・チャーリー」は東西ベルリンの国境検問所。外交官や外国人、西側連合国軍の関係者などは、この検問所を通って東西ベルリンを行き来していました。写真に写っているのは実際に駐留していたソ連軍兵士で、アメリカが管轄していた地区の方を見ています。この裏には米軍兵士の写真があり、ソ連管轄地域の方を向いています。

チェックポイント・チャーリーの近くには、通称「壁博物館」、正式名称「チェックポイント・チャーリー博物館」があります。”壁”が建設された翌年の1962年に開館。自由を求めて東側から西側へ脱出した人たちの記録や写真、実際に脱出に使われた車や熱気球などが展示されており、自由のために命を懸けた人びとの想いを知るためには必ず訪れたい場所です。

歴史を知るために「ベルリンの壁」の跡を訪れよう

1989年に「ベルリンの壁」が崩壊して以来、30年近い年月が過ぎようとしています。冷戦はすっかり過去の記憶となってしまっていますが、当時の社会やそこで生きた人々の想いを知るためには、やはり現地を訪れるのが一番です。

ベルリンには東ドイツの文化を伝える「DDR博物館」もありますので、併せて訪れることをお勧めします。
※DDR=ドイツ民主共和国(東ドイツ)

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2011/07/21−2011/07/24 訪問

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