太田金山城は駅から歩くと1時間掛かりますが、車で来れば城のある「金山」(ちなみに全山に赤松があります)の中腹に無料駐車場があります。少し戻った麓には「太田金山ガイディングセンター」があり、この城の事が分かり易く、ビデオで放映され・城の復元オブジェが見学できるようになっています。
ガイディングセンターから中腹の駐車場までは歩いて30分弱ほど。途中にはスズメバチの巣があるので、夏場は黒い帽子(熊に間違われる)とジュース類は御法度です。中腹から登り始めると途中にも塹壕跡や、小さな堀切や竪堀が連続して現れます。石畳の道や壊れてしまっている吊橋も木の間から見え隠れ。本格的な山城の姿に段々と期待感が高まってきます。
そして最初の見所、岩山を切り裂いた堀切が現れます。15世紀中頃によくこんな堀切を作ることが出来たと感心してしまうでしょう。
岩を切り裂いた堀切を渡り、少し上に物見台があり、上に登ると東側を除く三方が遠くまで見渡せます。北から謙信、西から信玄、南から北条が攻め寄せてきても、ここからみればその軍勢と軍備がよく判るので対応もできたでしょう。単独で防ぐのが難しければ、東側には仲の良かった北関東豪族連合がいます。急いで応援を頼めば、攻めてくる敵を挟み撃ちにできます。
物見台から馬場曲輪がすぐ近くにあります。そこを抜けると、この太田金山城の一番の見所ともいうべき、大手虎口が。ここには復元されていませんが、櫓門形式の城門と周りには小さな館が林立していたようです。皆さんが攻め手だとしたら、ここに挑みかかって行けるでしょうか?
幾多数多の堅城が全国にありますが、ここ太田金山城も近づくことすら困難な、鉄壁の守りの構造。謙信もここまでは攻め手を進めたようですが、この大手虎口を突破できずにやむなく越後へ兵を引き返したと言われています。
大手虎口の横にも「月の池」と言われる生活用水用の池があります。しかしその上にも主に祭祀に使われた神聖な「日の池」と、同じ水脈の井戸が周りに三つあります。籠城戦に必要なのは、水と援軍が来る当てがあるか否か。この太田金山城にはそれがありました。兵糧攻めも効果なく、時間が掛かれば挟み撃ちにあってしまう、攻め手の武将も気が気ではなかったと思います。
写真の向こう側に南曲輪があり、その向こうの小さな山には八王子砦という支城がありました。その南曲輪からの景観は、晴れた日なら右側に富士山、左斜め前方にはスカイツリーが望めます。腰掛けもあるので、のどの渇きを癒しながらしばしの間、景観を楽しんでみては如何でしょうか。
南曲輪から本丸まで登る途中に、樹齢800年の大欅があります。少し前までは全部で8本あったのですが、今は一本だけ残っています。その先の階段を登ると「実城」と言われる金山の頂上にある、本丸に着きます。頂上には新田親子が祭神の「新田神社」。周りをぐるりと樹木に覆われているため景観は期待できませんが、それでも木々の間から四方八方が見渡せます。
中腹から登り始め、見所で時間を使っても頂上まで約4〜50分で来ることが出来ます。また帰り道は行きと違い、歴史的遺構を見なければ15分程度で中腹まで降りられます。歩いて帰られる方は、本丸から真直ぐに鳥居を潜り急な階段道を行けば、太田駅まで約1時間です。
ちなみに、全国のお城には石碑が至る所にありますが、城跡・城阯・城趾など幾つもの“あと”と云う字が使われています。これは石碑が建てられた年に使われていた漢字の種類によって、変化しています。
太田金山城の麓には、最初に触れたガイディング施設以外にも沢山の歴史的遺構があります。車で周れば3〜40分の圏内に、新田義貞居館の反町館跡、徳川氏発祥の地とも云われている世良田東照宮、鎌倉幕府討幕派の集合地である生品神社、新田義貞座像がある金龍寺、子育てで有名な呑龍さまこと大光院など、数え切れません。
お城を見ると武将が知りたくなります。武将を知ると合戦が気になります。ここ太田金山城は、そんな歴史好きな初心者と玄人が共に満足できる、歴史の狭間で埋もれては勿体無い城です!
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(2024/9/9更新)
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