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写真:政田 マリ
地図を見る今から1200年前、京都に都が出来た頃の伝説です。小野篁という公卿は、昼間はこの世で政治家として仕事をし、夜間はあの世へ出向き閻魔さまの元に仕えるというエスパーでした。あの世とこの世の行き来は井戸を使っていて、あの世に行く井戸は東山区六道珍皇寺の井戸、この世に戻るのは嵯峨福正寺の空井戸でした。六道珍皇寺には井戸がありますが、残念ながら福正寺はお寺も井戸も現存していません。(現在跡地は一休という小料理屋さんの駐車場になっています)
その福正寺には小野篁があの世で衝撃的な出会いをしたお地蔵さまのお姿を写して作ったという『生六道(しょうろくどう)地蔵菩薩』と呼ばれる半跏像(片足を踏み下げた像)がありました。江戸時代末に隣接するお寺との領地争いが起き、天下のご法度であった直訴をして廃寺になった福正寺。安置されていたお地蔵さまなどの宝物は全て合併した薬師寺に移されたのです。現在薬師寺本堂前には福正寺のと合併したことを表すために『生の六道小野篁公遺跡』の石碑(写真)が建てられています。
ではそのお地蔵さまと小野篁の衝撃的な出会いとは…?
写真:政田 マリ
地図を見る小野篁はある日、冥土に行った際に地獄に立ち寄ることにします。そこでは猛烈な勢いで燃える炎の中で苦しみもだえる亡者がいるといいます。篁は凄惨な現場を覚悟しながら覗きました。すると!そこには亡者の姿はなく、たった一人あらがうことなく猛火に身を置く僧侶の姿がありました。篁がその僧侶に訳を聞くと、「地獄で苦しむはずだった亡者を全て上の世界に送ってしまった。私が身代わりになってここで焼かれているのです。」と答えました。篁はその僧侶がお地蔵さまであると気付き、その姿を記憶し、この世に戻ってすぐにそっくりなお地蔵さまの像を作って福正寺に安置したといいます。
現在、嵯峨薬師寺に安置される生六道地蔵菩薩(写真)ですが、篁が生きていた平安期よりはもう少し時代は下ると思われます。目には黒曜石と水晶がキラリと光り、涼やかな目元ながら熱い決意を感じさせるリアルさが感じ取れます。さらに袈裟の衣紋も彫りが深く複雑な流れ。こういった技法からゴージャスな仏さまが多かった鎌倉時代頃の作と推測されます。もしかしたら篁が彫ったお地蔵さまを踏襲して、後の時代に作り直されたのかもしれませんね。
いずれにせよ、私たちを一人残らずお救いくださるありがたいお姿に一度はお会いしたいものですが、なんと年に一度の一般公開の時にしかお目にかかれないのです!!
写真:政田 マリ
地図を見る主に京都などでは8月23日、24日に地域のお地蔵さまの前で法要を行う『地蔵盆』という行事を大事にしています。薬師寺でも年に一度、8月24日に生六道地蔵菩薩の前に生御膳(なまごぜん)というお供え物が置かれ、読経などの法要が行われます。
この日のみは一般の方々にもお堂が公開され、地蔵菩薩を始め、嵯峨天皇が空海に作らせたと伝わる小柄でシンプルな本尊薬師如来像、恵心僧都源信が生身の阿弥陀さまをその目で見た時の姿という、櫂を持ち船で漕ぎ出すお姿の阿弥陀三尊像など、なんとも想像力をかき立てられる不思議な仏さまを、一堂に拝することができます。
真言宗から浄土宗に宗派が変わった経緯から、本堂は信者が多く入れるように増築していたり、弘法大師像や嵯峨天皇像が安置されているところも見どころです。長い歴史を持つお寺ほど、多方面から影響を受け宗派替えをしていることがよくあります。
薬師寺というと奈良の薬師寺があまりにも大きく有名ですが、京都・嵯峨野にも小さいながらも国宝級の伝説を有する薬師寺があるんです。歴史上の人物の気持ちになりきって妄想することが大好きな『妄想族』の皆さんにとって、かなり心くすぐられるお寺であることは間違いありません!
年に一度しかお会いできないその仏さまの前で、ぜひ妄想に妄想を重ねてみてください。本堂一般公開は毎年8月24日10時から15時まで。15時から法要、15時半から炎の中に経木を投じる『嵯峨薬師寺の送り火』があります。
※ご住職も「ぜひたくさんの方にお越しいただきたい!」と仰っていますが、当日は法要で忙しいため、残念ながら詳しい説明と御朱印に対応できません。
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