天下の名城、宮城県「青葉城」を裏道から登ると思わぬものが!

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天下の名城、宮城県「青葉城」を裏道から登ると思わぬものが!

天下の名城、宮城県「青葉城」を裏道から登ると思わぬものが!

更新日:2016/07/07 17:51

田中 秀昭のプロフィール写真 田中 秀昭 歴史と文化財の解説ナビゲーター

東北に君臨した名君主「伊達政宗公」。生れた年が20年早ければ、天下の覇権争いに名乗りを上げ、秀吉・家康と互角に渡り合ったと云われています。でも己が領地で文化に花咲かせ、幕府にも一目置かれていた政宗の作った城は天下に誇る名城です。

その居城「青葉城」には麓からの登城ルートが二つあります。歩き易い表道はさておき、今回は少し険しい裏道から本丸を目指しましょう!

仙台市立博物館の裏からスタート、すると見慣れないものが!

仙台市立博物館の裏からスタート、すると見慣れないものが!

写真:田中 秀昭

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青葉城に観光に来られた方は、初めに車で上まで登ってしまい、本丸跡にある政宗公騎馬像を見てから景観を楽しみ、お土産処で何かを買い求めて、次の観光地に向かわれると思います。でも青葉城にはあまり知られていない歴史的遺構がたくさんあります。まず最初に政宗公の胸像を見ていきましょう。

これは太平洋戦争で金属供出と言って、全国でも様々な建造物から金属類を飛行機や大砲の砲弾などを作るために、集められたその悲しき傷跡です。この残った胸像が初代政宗公騎馬像と云われています。一旦は供出されましたが、終戦後に塩釜市内で胸像部分だけ発見されました。残念ながら騎馬と下半身は見つかりませんでした。仙台市立博物館の裏に目立たぬようにでもきりりとして、眼光鋭く両眼を見開いたお顔で展示されています。

政宗公は芸術的センスが豊かで、お酒も大好きだった!

政宗公は芸術的センスが豊かで、お酒も大好きだった!

写真:田中 秀昭

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ここは政宗公の胸像から左側の巽門跡の上にある造酒屋敷跡です。政宗公は書が大変な達筆で、全国の大名も政宗公から手紙が届くとそれだけで感動したようです。でも政宗公はそういった芸術的才能だけでなく煙草もそしてお酒も大好きだったようです。城の中でお酒を造れる造酒所があるのは、大大名だから珍しくないでしょうが、こういった遺構を見ると親近感が湧いてきます。

さてここからは道が険しくなるので、ゆっくりと登り始めましょう。

こんな古い石垣も味わい深い!

こんな古い石垣も味わい深い!

写真:田中 秀昭

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青葉城は政宗公が本丸と二の丸を作り、息子たちが徐々に城を拡張したと云われています。この古い石垣は清水門と沢門の間にあります。石垣に使われる石は、加工の方法によって三段階に分けられます。江戸城や大阪城の大手門に見られる立派な「切込み接ぎ」、実用的で最も多い「打込み接ぎ」、そして初期の「野面積み」となり、この石垣は野面積みになります。

古き良き風情があり、もしかしたら政宗公以前にこの地に住んでいた「国分氏」時代の石垣の可能性もあります。

下から見上げる本丸下の「高石垣」これぞ切込み接ぎの石垣!

下から見上げる本丸下の「高石垣」これぞ切込み接ぎの石垣!

写真:田中 秀昭

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ここまで登ってくると少し息が切れます。でもこの石垣を見ると疲れがスーと取れて、ほぉーと見上げて感心してしまいます。とにかく立派の一言です!またここには休憩できるスペースもあるので、飲み物を飲んで一休みしましょう。夜間にはライトアップもされ、また本丸奥の駐車場も18時以降は無料になるので、夜にも寄ってみたくなります。

この石垣の上が本丸になるので、もう少し頑張って登りましょう。

本丸御殿跡には、使われなかった上々段の間があった!

本丸御殿跡には、使われなかった上々段の間があった!

写真:田中 秀昭

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ようやく本丸跡まで登ってこられました。様々な施設がありますが百名城スタンプを集めている方は最初に「仙台城見聞館」で押しておきましょう。その他にも護国神社や懸造り跡、お土産処の本丸会館や有料の資料展示館などがあります。

でもやっぱり三代目(二代目は騎馬像ではなく、コンクリート製の立像で岩出山城にあります)の政宗公騎馬像が目を引きます。写真は本丸大広間のもので、それぞれにどんな部屋かが分かる、プレートが置いてあります。従って間取りがよく判ります。政宗公騎馬像の左手前に、城主が座る上段の間、そして更にその上に、将軍もしくは天皇が座る上々段の間と書いたプレートがあります。残念ながら誰にも使われなかったと云われています。

見過ごしてしまいがちな歴史的遺構がまだまだあります!

青葉城にはまだ多くの遺構があります。例えば大手門の通りの反対側の銅像は、慶長遣欧使節団の団長としてはるばるアカプルコを経て、スペインとローマに赴いた「支倉常長」像です。役目を果たせずというより、役目そのものが途中で消えてしまった、悲運の人です。そのそばには青葉城で唯一空襲から焼失を免れた現存の多聞塀もあります。

他にも本丸の入り口には天守代わりの「艮櫓跡」、展示物が面白い歴史資料館、広瀬川の反対側には「伊達家伯記念會」があり、政宗公発掘調査により外見と血液型(B型)が解明されていました。

「杜の都仙台」その礎を作った「伊達政宗公の居城、青葉城」まだまだ秘密が隠されているような気がします。是非その秘密に触れに、「あすびさ ございん!」

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/06/19 訪問

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