常楽寺は地図上ではJR大船駅と北鎌倉駅の中間に位置しています。アクセスとしてはどちらの駅から向かっても徒歩15分程度の距離です。路線バスも通っていますので、そちらを利用されるのも良いでしょう。
常楽寺までは平坦な道が続き、鎌倉市内でも商業地域に該当する場所なので、ウォーキングにも適しています。大船駅から向かうと、旧松竹大船撮影所跡地や鎌倉芸術館を通っていくことができますので、「商業文化」としての鎌倉の魅力を垣間見ることができます。
寺院は住宅街の少し奥に建っています。県道からは木々の茂みしか目視することはできないので、「常楽寺」と彫られた石塔を基点に、案内に従って直進して下さい。しばらくすると茅葺き屋根で造られた立派な山門が目に飛び込んできます。
院の歴史は1237年、鎌倉幕府の三代執権であった北条泰時が、義母の供養をするために御堂を建てたのが始まりです。蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は建長寺建立後も住職を兼務し、境内奥にある仏殿の裏には、泰時自身の墓もあります。
境内は建立された当時と比べるとそれほど広くはありませんが、山門、仏殿の他、文殊堂などがあります。なお、建長寺、円覚寺の鐘とともに「鎌倉三名鐘」とよばれた鐘はかつて常楽寺に存在し、現在は「鎌倉国宝館」に寄託、展示されています
常楽寺は元々「粟船御堂」(あわふねみどう)と呼ばれ、創建当時は密教、または浄土宗の系統であったとされています。しかし、次第に鎌倉幕府が禅寺を推奨するようになると、ここも禅宗色が強まることになり、後に臨済宗の寺となりました。ちなみに、駅の名前にもなっている「大船」という地名は、寺院の裏山の「粟船(あわふね)山」に由来しています。
常楽寺は1998年に市指定有形文化財に指定されただけでなく、県指定重要文化財として「木造文殊菩薩坐像」をはじめとする、いくつもの文化財を所蔵しています。
なかでも仏殿は、本尊の「阿弥陀如来像」、脇侍の「観音菩薩像」「勢至菩薩像」の他に、蘭渓道隆像や狩野雪信筆の「雲龍図」が天井に描かれており、まさに文化財の宝庫です。本尊の木造釈迦如来坐像は、これまで南北朝時代の作と伝えられてきましたが、近年、その台座から「1242年(仁治3年)6月12日」の墨書が確認されました。
また、天井の「雲龍図」は、この寺院以外にも鎌倉では建長寺・円覚寺にも描かれています。興味深いことに常楽寺の龍の眼には光がなく、その理由は「昔、夜になると動き出したため、両目の視力を奪われたのだ」という伝承が残っています。
仏殿の左手にある文殊堂には、蘭渓道隆ゆかりの「文殊菩薩像」が安置されています。この文殊菩薩坐像は、年に一度、知恵の仏様である文殊菩薩を供養する「文殊祭」(例年1月25日)でしか開帳されることはありません。
この「文殊菩薩坐像」は、布張りの上にパステル彩色が施されたもので、頭部は蘭渓道隆が渡来時に、日本に持ち込んだものと言われています。また、常楽寺の文殊菩薩は、「日本七文殊」の第三の文殊といわれており、奥州・和泉・相模・丹後・甲斐・和泉・豊後の全国7箇所にしか奉納されていません。
1567年には甘粕長俊によって修理が施さており、通常は「秘仏」として文殊堂に安置されています。文殊堂の周辺は木々が幾重にも植樹されており、参拝するのも大人ひとりがやっと通れるほどの広さです。「秘仏」だけあって、境内のなかでも奥まった場所にひっそりと佇んでいます。
鎌倉といえば、鶴岡八幡宮を筆頭に数々の寺院が思い浮かぶはずです。しかし、この常楽寺のある場所は日常の「鎌倉」を見ることができるといってよいでしょう。観光客もほとんどいませんし、史跡も周囲にほとんどありません。そんな中でも、鎌倉時代の史跡として重要な建築物が街中にあるというのは意外な事実です。
大船地区は横浜からのアクセスもよく、旧松竹撮影所に縁のあるお店も多く残っています。ショッピングや朝市など、日常生活に触れてみるのも違った観光の楽しみ方です。
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