写真:古都の U助
地図を見る新世界のシンボル、通天閣の足元には明治から昭和にかけ活躍した将棋棋士・坂田三吉(阪田とも)の記念碑があります。初代は昭和44年に建てられましたが、老朽化のため2014年現在のものにリニューアル。大阪人の土根性を示したと功績が称えられているこの記念碑は、坂田三吉にあやかり勝負事のパワースポットとして、密かな人気の場所となっています。
坂田三吉は明治3年大阪の堺で生まれ、はじめ大阪・日本橋へ丁稚奉公をしながらめきめきと将棋で頭角を現していきました。生前はこの新世界の周辺に住み、昭和21年大阪市東住吉区の自宅で死去し、昭和30年日本将棋連盟から、名人と王将の称号が贈られています。
写真:古都の U助
地図を見る通天閣の南側にはおよそ180メートルほどアーケードの商店街が続く「ジャンジャン横丁」があります。正式には南陽通商店街というのですが、かつて三味線等の音がにぎやかだったところから、その名がついたとされています。
通天閣周辺には昭和40年頃には4、5軒の将棋倶楽部があったといい、ジャンジャン横丁にあった老舗将棋クラブ「王将倶楽部」もその1つでした。今では若い世代の将棋ファンは気軽にネット将棋を楽しむようになり、また常連客の高齢化もあって、王将倶楽部は惜しまれつつも2015年10月に閉店。そして2016年6月に、串かつ店としてリニューアルオープンしています。
写真:古都の U助
地図を見る王将倶楽部の串カツは新世界の他の店舗と比べ衣が薄いのが特徴です。大阪名物の2度付け禁止のソースの他、激辛ソース、フルーツをたっぷり使用したフルーツソース、ポン酢、特製の塩も用意され、食材によって選んぶことができます。また、サービスで出していただけるキャベツなどのお通しもうれしい限り。
一階の席は新鮮な食材やドリンクが並ぶカウンターが中心で、「賭事一切お断りします」と書かれた当時の張り紙や、大型の将棋の駒オブジェがいくつも並びます。また、珍しい将棋の駒柄の着物を着た浮世絵作品なども飾られており、将棋がインテリアとしてセンス良く生かされています。
(串カツ5種盛り 650円)
写真:古都の U助
地図を見る主に繁忙時になると使用される2階の部屋は、将棋をしながら食事を楽しむという斬新なコンセプトのもと、使い込まれた将棋盤や駒が常備され大切に歴史が受け継がれています。
また将棋クラブの頃から使用されていた看板や古材なども大切に受け継がれ、ファンには堪らないインテリアとなっています。
写真:古都の U助
地図を見る将棋の歴史の中では数々の名言が誕生していますが、坂田三吉の最も有名なセリフが「銀が泣いている」というものです。大正2年4月に東京・築地倶楽部にて宿敵・関根金次郎と対戦した際、盤上で立往生してしまった駒、銀に対し、思わず呟いたというものです。
実際にはこの銀は122手目まで生き残り、逆転のチャンスを掴んだのですが。その最後の盤面がオブジェとして、ジャンジャン横丁の王将倶楽部すぐそばに設置されています。
新世界では、将棋を題材として取り上げ今もファンが多い人気の朝ドラ『ふたりっ子』のロケも数多く行われています。
かつて通天閣地下にあった通天閣囲碁将棋センターも今は閉鎖してしまいましたが、ジャンジャン横丁の王将倶楽部の少し南にある将棋囲碁クラブの「三桂(さんけい)クラブ」が今も暖簾を守っています。
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(2024/9/9更新)
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