「三嶋暦師の館」は、静岡県三島市の中心地に鎮座する三嶋大社の東側に位置しています。三嶋大社は、源頼朝が源氏再興の祈願をした有名な神社。「伊豆一の宮」と呼ばれ、関東隋一の大きな神社です。大社にほど近いこのエリアはその昔、神事に関する人達が住む「社家(しゃけ)」と呼ばれる神領域で、一般の人々が足を踏み入れることができませんでした。そんな場所に簡単に入れてしまうなんて、何だか優越感を感じてしまいますよね。
この場所は、「暦師」として暦の製造販売を行っていた河合(かわい)家の住居跡を利用した資料館になっています。名前にある「三嶋暦」の「暦」とは、昔のカレンダーのこと。地名をとって「三嶋暦」と呼ばれています。資料館の建物は、現在の裾野市十里木にあった関所の廃屋を使って建てられたもので、国の登録有形文化財に指定されている重要な建物です。ただでさえ貴重な展示物が見られてしまうのに、文化財に無料で入れてしまうとってもお得な所なんです。
建物に入ると、暦を刷るのに欠かせない版木や、月の満ち欠け図などの暦に関する様々な展示がされています。河合家は、鎌倉時代の頃から明治時代まで代々三嶋暦を製造し販売を行っていたところで、ここを訪れたら絶対に見ておきたいのが写真の「三嶋暦」です。
現在、私達が使っている暦は「太陽暦」(新暦)と呼ばれるものです。地球が太陽を1周する365日を1年とし作られたものです。それに対して三嶋暦は「太陰太陽暦」(旧暦)と呼ばれ、月を中心に作られていますが太陽に対する地球の動きを暦に加味して作られています。河合家は、庭に天文台を設け、月を見て独自に計算して三嶋暦を製造販売。印刷された仮名文字の暦としては日本で最古のものとされています。
各地でその土地に適した暦が作られていましたが、河合家が作った暦は、文字の細線が繊細で美しく全国に知れ渡ったようです。仮名文字で作られているため身分の低い人も読むことができ、東日本の広範囲で使われました。戦国時代は織田信長も、江戸時代は幕府の正式な暦にもなり、歴史上の人物が使ったとされる重要な暦なんです。
三嶋暦は巻暦・綴り暦・略暦の3種類が作られ、綴り暦・略暦の2種類は主に民間に販売していました。巻暦は献上用とされ、徳川家などに献上されていたスペシャルな暦だったそうです。お次は必見中の必見スポット! 巻暦をご覧に入れましょう!
写真が巻暦です。徳川家に献上された大変貴重な三嶋暦で、分かりにくいかもしれませんが暦の最初の余白に「是(これ)は将軍家納め雛型」と文字があるのが分かりますか? これは1869年(明治2年)に手書きで作られた暦。民間に出回っていた省略された暦や帳面状の暦と違って、1枚の長い紙に暦がずらりと書かれている巻物状のものです。
巻芯の見えるところには贅沢に水晶が使われているなど、庶民のものとは雲泥の差! 徳川幕府の公認の暦で、歴史好きなら「この暦を見て、戦の戦略を練っていたのかな〜」なんて想像するだけでもきっとワクワクしてしまうはず。天下人が使っていた暦が見られるなんて、きっとここだけで歴史マニアにとってもたまらないことでしょう。
巻暦は三嶋大社へも献上されています。三嶋暦は月の動きを中心に作られていますが、季節の移動も加味されているので、農作物などの五穀豊穣を祈願する祭事が行われる三嶋大社では特に三嶋暦は大切なものだったようです。
「三嶋暦師の館」の館内では「三嶋暦の会」のボランティアの方が無料で説明してくれるので、誰でも詳しく知ることができます。また疑問に思ったことも聞け、暦にまつわる面白い秘話なども聞くことができますよ。
沢山の人に暦の歴史や文化に触れてもらおうと、「三嶋暦の印刷体験」や「三嶋暦を使った提灯づくり」などのイベントを行っているので、年齢を問わず参加されてみても良いですね。(イベントの詳しい内容は下記のMOMO【三嶋暦師の館】より、ご覧下さい)
「三嶋暦師の館」は、意外な暦の歴史を知ることができ、暦コレクターはもちろん、天下人をも目にした暦を入館無料で見ることができお宝ミュージアムです。
館がある三島市は水に恵まれた街で、富士山の伏流水でさらされたうなぎなど美味しい料理も味わえるので、「三嶋暦師の館」と併せて楽しまれてみては如何でしょうか?
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(2024/12/5更新)
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