写真:bow
地図を見る東海道五十三次の終点でもある京都市の三条大橋。そこから三条通りを滋賀県方面へ東に向かうと、山科区内へ入りJR東海道線の高架をくぐる手前辺りで「御陵(みささぎ)」という地名を通ります。
ちょうどその辺りに実は「天智天皇陵」があるのですが、なにぶん天皇陵ということもあり、全く観光地の扱いをされていません。通りに面しているものの、気を付けていなかったら素通りしてしまう恐れもあるような「天智天皇 山科陵」。その入口は御陵交番が目印で、良く見るとほったらかしのように見えてきちんと手入れをされている木々と、何ともいえない凛とした空気が漂っていることに気付きます。
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地図を見る飛鳥時代の第38代天皇である天智天皇を祀る「天智天皇 山科陵」は数多い京都の天皇陵の中でも最古のものとされる由緒ある存在で、考古学的には御廟野古墳という名の古墳です。
以前は○○天皇陵という呼称だったのが、近年になって○○古墳と名を変えている場所があることにお気付きでしょうか?古来からの伝承で○○天皇陵とされてきたものでも、実際には被葬者が断定できない場合が多いのだとか。かの有名な前方後円墳の仁徳天皇陵も現在では大仙陵古墳という呼び名が優勢になっています。
そんな中、この「天智天皇陵」だけはほぼ間違いことが判明しており、このようなケースは全国的にも非常にレアなのだそう。印象的な参道は確かに高貴な人物が眠っているような雰囲気を醸し出しています。
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地図を見るそもそも天智天皇とはどんな人物だったのでしょうか。教科書に出ていた存在ではあるものの、思い出せない方もいるのでは?むしろ天智天皇というよりは「中大兄皇子」といった方がピンと来る方も多いのではないでしょうか。
そうなのです、天智天皇とは中臣鎌足と共に豪族の政治に終止符を打った、大化の改新の立役者・中大兄皇子の後の名だったのです。遥か昔、教科書の中で見た人物が眠っているというだけでも歴史好きな人には堪らないでしょう。そんなドキドキ感を増すように、参道は奥へ奥へと深い森の中へ進んでいきます。
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地図を見る長い長い参道の果てに、天智天皇の陵墓があります。白砂に囲まれ、鳥居の奥はうっそうとした森になっています。一般人が入れるのは白砂の手前まで。誰も入れない白砂にも、ちゃんと手入れがされ綺麗な砂紋が描かれています。
何人も寄せ付けない静けさと、本当に何もない削ぎ落とされたシンプルさが清々しく感じることができる天智天皇陵。神社としての扱いではありませんが、なぜか手水所は設置されています。
実は天皇がご祭神の神社は意外に多く、ここから近い滋賀の近江神宮は天智天皇がご祭神である神社であるのです。そんなことから、ご利益を信じる人がパワースポットとして天智天皇陵を参拝する形もあるのです。実際に他の陵墓では民間信仰があり、祭事などが行われる所もあるそうです。
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地図を見る「天智天皇 山科陵」の入口付近をよく見ると、大きな日時計が設置されています。この日時計は、昭和13年に建てられたもの。なぜ、こんな所に日時計があるのかというと、天智天皇は日本で初めて時計を設置した人でもあったためです。
実際は日時計ではなく、漏刻(ろうこく)という水時計を設置して、時刻に合わせ鐘や太鼓をならしたそう。天智天皇は時間を知らせる報時制度をも作ったのです。ちなみにその漏刻を設置した日は6月10日、つまり時の記念日として制定されているのです。
最近では京都の天皇陵をめぐるツアーも登場するなど、静かなブームも巻き起こりつつあります。しかし、あくまで天皇陵は観光地ではないので、人が殺到するようなことはありません。静かに歴史と対話をしてみるのにはもってこいの場所なのです。
そして、数多い京都の天皇陵の中でも「明治天皇陵」は「天智天皇陵」を模して上円下方墳が採用されるなど、後の世にも影響を与えている存在。京都のお寺は行きつくしたという人にはちょっと違った視点を得られておすすめです。
「天智天皇 山科陵」へは京阪電車「御陵」駅下車、徒歩約3分です。JRでは「山科」駅下車、徒歩約20分です。近くにコインパーキングがあるので車でのアクセスも可能です。
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(2023/11/29更新)
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