タイムスリップするなら小倉城!街の発展を五感で体験しよう

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タイムスリップするなら小倉城!街の発展を五感で体験しよう

タイムスリップするなら小倉城!街の発展を五感で体験しよう

更新日:2016/07/26 11:15

Isao Noguchiのプロフィール写真 Isao Noguchi 著述業、観光検定教材製作者、ブロガー

これほど市街地の中心にある城郭も珍しいでしょう。駅から徒歩10分、近隣には商業施設が建ち並びます。九州の玄関口に建つ小倉城は本州と九州を結ぶ要所として、九州諸藩を監視する役目を担っていました。城周辺だけでも数々の史跡・社寺が立ち並び、1日では到底周ることができません。街は異国情緒を残しつつ、今も多くの交易で栄えた面影を残しています。城内には模造の灯台が建つなど、独自の風情を堪能することができます。

ドラマロケ地の常連!情報発信を通してサブカルチャー都市へ

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写真:Isao Noguchi

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小倉城一帯は「小倉城庭園」「八坂神社」「松本清張記念館」など、文化施設や史跡が集中しています。これらの施設はフリーパスを購入すると割安でそれぞれの施設に入館することができ、なんと小倉城庭園ではお菓子とお抹茶を頂くことができます。

また城内は他の城郭に比べ、各門の幅が広くなっており、階段は緩やかで拝観者にとって開放感のある、ゆったりと通行できる造りになっています。特に「大手門」「槻門」(けやきもん)は城の玄関口として巨大な石を積み上げ、藩主が通るにふさわしく石段の高さを低くしたりするなど、様々な工夫が施されています。

また、大河ドラマなどのロケ地としてもよく利用され、近年では「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「龍馬伝」などでストーリー上、重要なシーンに使われています。小倉市では市の政策として「ドラマのロケ地、サブカルチャーなどを一体的に発信する」というスローガンのもと、小倉城周辺エリアの施設の情報を積極的にアピールしています。

全国唯一の「唐造り」とは何?小倉城の成り立ちと変遷

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写真:Isao Noguchi

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北九州の地に小倉城が造られたのは1569年のことです。当時、中国地方を支配化に治めていた毛利氏が現在の場所に築城し、1602年に細川忠興が今の天守閣を有した城郭を造りました。

関ヶ原の戦いで東軍の武将として奮戦した忠興は、小倉を中心とした約39万9千石の土地を与えられます。その後、2代目藩主忠利は肥後(熊本県)へ国替えとなり、代わって播磨(兵庫県)から、譜代大名の小笠原忠宗が入国しました。九州地方の玄関口であった小倉は、交通・商業の要として発展していくことになり、その城下町の発展の様子は城内にあるジオラマ展示で分かりやすく紹介されていますので、是非ご覧下さい。

その繁栄を物語るように小倉城の天守閣は、「唐造り」と呼ばれ、4階層と5階層の間に日を遮るひさしがなく、4階よりも5階が大きく造られている全国でも珍しいものです。その他にも石垣は人工の切石を使わず、自然の形の石を積み上げて造られており、1837年に焼失するまで、小倉のシンボルであり続けました。

殿様気分を味わえる展示コーナー。一度は乗りたい大名かご!

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写真:Isao Noguchi

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小倉城内部は、江戸時代初期の細川氏から始まる小倉藩政の歴史を展示する郷土資料館になっています。各階は体験・映像ゾーンなどに分かれ、当時の藩主の台所を復元したり、「大名かご」に実際に乗ってみることができます。

各コーナーには人形を使って再現した軍議の様子など、より時代背景が伝わる工夫がなされており、まさしく「五感」で楽しめる内容になっています。「顔出しパネル」で殿様になりきるのも良し、アニメも上映されていますので、ご家族揃って足を運んでみてはいかがでしょうか。

敷地内に併設されている小倉城庭園では、小倉藩の礼儀作法の指南を務めた小笠原家の礼法を紹介する博物館があります。手入れの行き届いた日本庭園を眺めながら、お茶を頂く時間は至福の一時です。さらに、「無法松の一生」で有名な小倉祇園太鼓を催す八坂神社や、「昭和の文豪」松本清張記念館も必見です。時間に余裕を持って拝観することをお薦めします。

武蔵と小次郎。巌流島の決闘は今なお人々に語り継がれる

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写真:Isao Noguchi

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天守閣からは、小倉市街を四方から眺望することができます。東側方面は、毎年8月13日に行われる「小文字焼き」で賑わう小文字山が眺望でき、小倉の夏の風物詩となっています。

小倉は本州と九州を結ぶ要所であったため、城下町では、城を中心に家来の武士が居を構え、それを囲むように外郭に町人が住んでいました。また、小倉は「中津街道」や「長崎街道」の起点であったことから「九州全ての路は小倉に通ずる」と言われていたのです。江戸時代「香春口門」や「中津口門」と呼ばれていた箇所は、現在もそれぞれ「香春口」「中津口」といった地名で地元に人々に受け継がれています。

そして、「小倉」と言えば何といっても「巌流島の決闘」で有名な宮本武蔵と佐々木小次郎です。市内では二人にまつわる催しが市民スペースや公園などで随時行われています。勿論、小倉城内にも武蔵と小次郎のコーナーが設けられており、その人気の高さを肌で感じることができます。

豊かな台地に海の恩恵も受けた稀有な土地、小倉。

関門海峡に面した小倉は、陸海運の交通の要所として、古くから砦や城が構えられた場所でした。この地を制した者が富と権力を手中に収めることができ、その覇権を巡って多くの豪族たちが一戦を交えてきたのです。

戦乱の世が収まり、江戸時代にこの地を納めた細川忠興は、城下町を発展させるべく、全国から商人や職人を集めて「商工業保護」を実施しました。それ以外に外国との貿易にも積極的に関わりました。

小笠原氏の治世下では、屋敷内に泉水を持つ回遊式庭園もつくられています。このような豪華絢爛な文化が根付いていったのも、九州において、小倉という土地が人・モノ・情報の行き交いが盛んだったことを物語っています。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/16−2016/07/17 訪問

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