JR湖西線(こせいせん)・安曇川(あどがわ)駅前には、ある人物の銅像が建立されています。近江聖人(おうみせいじん)とも呼ばれ、日本陽明学の始祖と称される、中江藤樹(なかえ とうじゅ、1608年〜1648年)の銅像です。
関ヶ原の戦いの8年後、1608年(慶長8年)に中江藤樹、名は原(げん)、字(あざな)は惟命(これなが)、通称・与右衛門(よえもん)は、現在の滋賀県高島市、近江国高島郡小川村に生まれます。後に愛媛県の大洲に移り、武士の道へ。
1634年(寛永11年)、27歳の時に郷里で独り生活している母親を思い官職を辞して、この地へと戻ってきます。その人徳や教えを慕い、多くの人々が自宅を訪れ、やがて私塾のような形となっていったのです。
孔子(前552年〜前479年)の唱えた教えを基礎にした“儒学”。中国・南宋の時代には、朱熹(しゅき、1130年〜1200年)が“朱子学”へ。また明(みん)の時代には、王陽明(おう ようめい、1472年〜1529年)が“陽明学”として、さらに展開していきます。
その“陽明学”も研究し、日本で多くの人々に教えを説く事になったのが、後に、近江聖人、日本陽明学の始祖と呼ばれる中江藤樹です。
滋賀県高島市には「中江藤樹記念館」があり、その功績を顕彰しています。また、その隣には中国式庭園「陽明園」も整備されています。園内には、王陽明の石像が建立され、その略歴も記されています。石像は、王陽明の出身地・浙江省余姚市(よようし)産の花崗岩を使用し製作されたもの。
安曇川駅前の中江藤樹像に続いて、こちらの王陽明の像も是非チェックしてみて下さい。
1986年(昭和61年)から始まった王陽明の出身地・中国浙江省余姚市と中江藤樹の出身地・滋賀県高島市(旧・高島郡安曇川町)との友好交流のシンボルとして建設されたのが「陽明園」です。
王陽明像のある「陽明園」は、上海の豫園(よえん)、江蘇省(こうそしょう)蘇州の拙政園(せっせいえん)や留園(りゅうえん)などの中国の代表的な庭園を参考にして設計。池の周囲に配された独特の形状をした岩石の“太湖石”や塀に施された“龍瓦”など、建築材料のほとんどは中国から輸入したものです。
石橋の先、中央にある朱色の東屋、“陽明亭”は王陽明が学問を研究した“中天閣”にならい、約500年前の建築様式に基づいて復元された建造物。高さは約6.8メートルで、園内で一際目を引きます。
池や岩、周囲には草木が生い茂る「陽明園」は、写真撮影のスポットとしてカメラを片手に訪れる人も多い場所。こちらで素敵な写真を撮ってみるのも良いですね。
そして、こちらが中江藤樹の生誕380年を記念し、1988年(昭和63年)にオープンした「中江藤樹記念館」です。展示室では中江藤樹の衣服や直筆の書などを始めとする遺品や遺墨を中心に常設展示や小企画展などが行われています。
スタッフの方のガイダンスや分かりやすい解説ビデオなども用意されているので、子供から大人まで楽しめる配慮がなされているのも嬉しいポイント。
安曇川駅から歩いて約20分の距離にあり、町を散策しながら訪れるのにも最適です。その間には、中江藤樹の言葉や逸話が記された説明板が数多く設置されているので、そちらを読みながら「中江藤樹記念館」まで向かってみてはいかがでしょうか。
他にも、バスの運行や無料の駐車場など整っているので、様々なアクセス方法も可能です。予定に合わせて御利用下さい。
「中江藤樹記念館」の南側には、中江藤樹を御祭神とした「藤樹神社」もあります。1922年(大正11年)に滋賀県知事・堀田義次郎が会長を務めた藤樹神社創立協賛会が中心となり、「藤樹神社」が創建されました。
宝物には、久邇宮良子(くにのみや ながこ、1903年〜2000)女王(にょおう)、後の香淳皇后(こうじゅんこうごう)の御作文「我が敬慕する人物中江藤樹」や中江藤樹の直筆の書簡、門人の熊沢蕃山(くまざわ はんざん、1619年〜1691年)、昌平坂学問所の塾長・佐藤一斎(さとう いっさい、1772年〜1859年)の書など。
また緑豊かな境内には樹齢400年を超えるダマの巨木があります。オガタマノキとも呼ばれるモクレン科の常緑高木です。
その他にも周辺には、中江藤樹の墓所や史蹟「藤樹書院跡」、案内所・休憩所を兼ねた「良知館」、道の駅「藤樹の里あどがわ」など見所が豊富です。また東に向かえば、琵琶湖も広がり、素晴らしい景観も望めます。
滋賀県高島市にて、自然の情景と日本陽明学の長い歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
以上、近江聖人、日本陽明学の始祖・中江藤樹を顕彰する「中江藤樹記念館」と隣接スポットの御紹介でした。
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(2023/12/10更新)
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