無名の最高芸術!愛と奇想の建築・フランス「ピカシェットの家」

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無名の最高芸術!愛と奇想の建築・フランス「ピカシェットの家」

無名の最高芸術!愛と奇想の建築・フランス「ピカシェットの家」

更新日:2017/03/26 17:03

林本 実樹のプロフィール写真 林本 実樹 学芸員資格

フランスのシャルトルという街に、墓の掃除人をしていた男性が、30年以上の年月をかけてモザイクで装飾した「ピカシェットの家」があります。建物のすべて、壁や通路、家具に至るまで、皿やビンの破片を集めたモザイクで飾られ、家の奥には小さな庭も。

ピカシェットの家は、住宅街にひっそり建つ小さな建物ですが、ユネスコ世界遺産に登録されている「シャルトル・ノートルダム大聖堂」とともに、街を代表する芸術建築です。

ひとりの男性が家族のために建てた家

ひとりの男性が家族のために建てた家

写真:林本 実樹

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シャルトルの住宅街、知らなければ通り過ぎてしまいそうな路地の先に、ピカシェットの家はあります。この家を建て、生活しながら装飾をしたのは、レイモン・イシドール=Raymond Isidore (1900年9月8日−1964年9月7日)氏。妻との間にひとりの息子がいて、人生の後期は墓地の掃除人、墓守として働いていました。

母屋と離れが二つあり、庭もしつらえられています。外観や部屋の壁はもちろん、床、柱、水道管、家財道具、中庭や裏庭に続く通路の床や壁面、草花が茂る庭の細部に至るまで、モザイクとペイントで埋められています。

1929年12月24日、イシドール氏は、現在のRue du Repos通りの土地を買い、ひとりで家を建てました。最初は水まわりの設備などはもちろん、床もない家でした。こつこつと設備を整え、翌年1930年8月15日に、奥さん、息子さんと一緒に引っ越します。当時は墓守とは違う仕事をしていたようです。

装飾を始めたのは1931年、その後は64歳の誕生日前日に亡くなるまで、家や庭の装飾に没頭していったのです。

ひとりの男性が家族のために建てた家

写真:林本 実樹

知らなければ通りすぎてしまいそうな、細い路地の先にあります。

装飾に使った破片の数は440万個

装飾に使った破片の数は440万個

写真:林本 実樹

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イシドールの家ではなく、ピカシェットの家と呼ばれる由来は、拾い集めた皿の破片で飾られた建物だから。フランス語では、maison picassiette。ピカシェット=picassietteは、pique=つまむ、assiette=皿 からできた言葉で、“つまみ食いする・タダ食いする人”と“拾って集める”という2つの意味があります。maisonは建物の意味。親しみをこめた呼び名と解釈することもできますが、揶揄を感じる名でもあります。

決して裕福ではない生活の中で、妻を喜ばせようと、キレイな陶器の破片を拾い、家の壁に貼り、飾り付けたのが最初だとか。その後、こつこつと装飾を続け、使われた破片の数はおよそ440万個といわれています。

それだけの素材を集め、長きにわたって没頭し続ける彼の中には、いつも想像力と情熱がありました。ガラスや陶器の破片を集め、筆を持ち、装飾に没頭する彼に対して、周囲からの無理解や嘲笑が少なからずあったのは、想像に難くありません。

それでも、現在、私たちが見学できる建物はまさに芸術であり、その素晴らしい才能を感じられるのは事実。この空間には、今もなお、イシドール夫妻の生活が存在しているかのようです。

もうひとつの“シャルトル・ブルー”

もうひとつの“シャルトル・ブルー”

写真:林本 実樹

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敬虔なクリスチャンでもあったイシドール氏が、モザイクやペイントの題材に選んだのは、シャルトルの大聖堂や周辺の風景が主ですが、パリのエッフェル塔、モナリザの絵画、モンサンミッシェルなども見つけることができます。特に、シャルトル・ノートルダム大聖堂は、様々に角度や大きさをかえ刻まれていて、さらには、チャペルと思われる祈りの部屋は、大聖堂を訪れた人なら、もう一度大聖堂を感じることができることでしょう。

シャルトルの大聖堂は、シャルトル・ブルーと呼ばれるステンドグラスでも有名です。ピカシェットの家においても、祈りの部屋は、もうひとつのシャルトル・ブルーに包まれます。家族への愛と、シャルトルへの親しみ、神への信仰が、イシドール氏の想像力の源となっています。

もうひとつの“シャルトル・ブルー”

写真:林本 実樹

もうひとつの“シャルトル・ブルー”

写真:林本 実樹

レイモン・イシドール氏の残したもの

レイモン・イシドール氏の残したもの

写真:林本 実樹

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ピカシェットの家には、中庭のモザイクの椅子に座るイシドール氏や、奥さんのアドリエンヌの写真も飾られています。2人が結婚したのは、彼が24歳のとき、アドリエンヌは11歳年上で、2度目の結婚でした。彼は、64歳の誕生日の前日、63歳で奥さんよりも先に亡くなっています。晩年は、モザイクで埋め尽くされた家の中で、自分の想像力と情熱が枯渇していく焦燥感にも混乱し、苦しみました。

彼の家は、1982年に歴史的価値のある建造物として、国の指定を受け、観光地としても整備されました。イシドール氏の死から、18年たってからのことです。彼が生きている間は、その芸術的価値が、公に認められることはありませんでした。

彼の残した芸術は、正規の芸術教育を受けていない人たちのアートという意味で、アール・ブリュット、アウトサイダー・アートに分類されます。「芸術とは人間が心の中に高まる感情を最高最善のものへ移行させる人間活動である。」という言葉を、非暴力主義者で、19世紀のロシアを代表する文豪トルストイは残しました。その意味でいえば、イシドール氏の家と、彼の人生は最高の芸術といえるでしょう。

庭へ続く扉の陰に、イシドール夫妻の絵

奥さんのアドリアンヌの肖像は、いろいろなところに刻まれています。さらに、庭へ続く扉をあけると、陰になってしまう壁に、イシドール夫妻の肖像とおもわれる絵が。ウェディングドレスとタキシード姿ともみてとれます。

イジドール夫妻はいま、近くの墓地に眠っています。そこからは、レイモン・イシドール氏が愛したシャルトルの街並みと大聖堂の風景を見渡すことができるそうです。

<シャルトルへの行き方・観光案内>
シャルトルは、パリのモンパルナス駅からフランス国鉄(SNCF)で約1時間。ル・マン、レンヌ、ブレスト行きの列車は、1時間に1本程度です。モンパルナス駅では、自動販売機でチケットを購入できます。日本語対応はしていないので、「シャルトル=Chartres」のスペルは覚えておくといいでしょう。

シャルトル・ノートルダム大聖堂へは、見学ツアーや、4月から10月の初めころまで開催する光のシャルトルというイベントのツアーがパリからでていますが、ピカシェットの家はツアーに含まれないので、自力で行く他ありません。

なお、ピカシェットの家の見学は夏期のみ。ただし冬期にあたる11月〜3月末までは、シャルトル博物館に事前に電話をすれば予約をして見学することができます。

Maison Picassiette
営業期間:4月1日〜10月31日
営業時間:10時〜18時(12時〜14時は昼休みなので注意)
(すべて2016年10月時点)

庭へ続く扉の陰に、イシドール夫妻の絵

写真:林本 実樹

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庭へ続く扉の陰に、イシドール夫妻の絵

写真:林本 実樹

庭へ続く扉の陰に、イシドール夫妻の絵

写真:林本 実樹

無名の最高芸術!墓守の男性が人生を捧げたフランス「ピカシェットの家」

シャルトルには、芸術や美術を学ぶことなく、家族への愛や信仰の心を想像の源に、素晴らしい才能を家の建築、モザイク装飾に捧げたレイモン・イシドールという人がいました。

彼は自分の家を、陶器やビンの破片をおおよそ440万個使って、素晴らしいモザイク装飾とペイントで埋め尽くしました。その家は「ピカシェットの家」と呼ばれ、いまでは、フランスの歴史記念建造物に指定、観光地として開放されています。

ユネスコ世界遺産に登録されている「シャルトル・ノートルダム大聖堂」も、そんなモザイク装飾の題材として用いられています。大聖堂を訪れた後に、ピカシェットの家を見学することをおすすめします。

【参考文献】
フランスの庭 奇想のパラダイス (とんぼの本)/横田 克己 (著),、松永 学 (写真)

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/07 訪問

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