726年(神亀3年)に山岳修行者として名高い僧・泰澄(たいちょう、生没年不詳)が、この地を訪れた折、地鳴りが起こり森の中の大地に、霊光を放つ巨石が出現。薬師如来が民衆を救うために現れたのだと感じ、堂を建ててお祀りします。
その後、812年(弘仁3年)に弘法大師・空海(くうかい、774年〜835年)が自ら薬師如来立像を彫り、神威を迎えて、より一層、霊験あらたかとなりました。その評判は嵯峨天皇(さがてんのう、786年〜842年)にも伝わり、鎮護国家を祈願する寺院である勅願所となります。
当初は高富山(たかとみさん)西福寺(さいふくじ)瑠璃光院(るりこういん)と称されていました、が後に「石薬師寺」と改められました。
1575年(天正3年)に織田信長(おだ のぶなが、1532年〜1582年)の兵火により本堂を含む諸堂が焼失。しかしながら、本尊は難を免れます。その後、直ぐに仮のお堂が造られ、1601年(慶長6年)、神戸(かんべ)城主・一柳直盛(ひとつやなぎ なおもり、1564年〜1636年)の力添えによって再建されました。
「石薬師寺」へのアクセスは、関西本線・加佐登駅から国道一号線に向かい、バス停“国道加佐登”から乗車し後、“上田口”で下車して徒歩約5分。また関西本線・川曲駅からコミュニティバスを利用し、“石薬師高校”または“佐佐木信綱記念館”のバス停で下車して徒歩で向かう事も可能です。
豊かな自然に囲まれた境内には本堂や鐘楼堂を始めとして、大師堂、水子地蔵、地蔵堂、観音菩薩、不動明王など諸堂諸像が整えられています。四季折々の草花、特に秋の紅葉など見応えがありますので、境内をゆっくりとお参りしてみてはいかがでしょうか。
江戸後期の浮世絵師・歌川広重(うたがわ ひろしげ、1797年〜1858年)は『東海道五十三次』の中で「石薬師宿」を、『五十三次名所図会』の45番目でも桜が花開く春の“石薬師”の地を描いています。
日本の浮世などの影響を強く受けたオランダの画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年〜1890年)は後に歌川広重を始めとする日本人の作品を背景に『タンギー爺さん』を描きます。
その『タンギー爺さん』の右上に描かれているのが『五十三次名所図会』の“石薬師”なのです。その他に「石薬師寺」は、画家・山下清(やました きよし、1922年〜1971年)や漫画家・水木しげる(1922年〜2015年)の作品にも登場しています。
納経祈願受付寺務所には、上記の作品の複製が飾られていますので、そちらも是非チェックしてみて下さい。
草木に囲まれた参道の右手には鐘楼堂があり、正面の一番奥にあるのが「石薬師寺」の本堂。本尊は、弘法大師・空海が一夜のうちに爪で彫ったと伝わる石仏の薬師如来立像です。普段は秘仏となっていますが、毎年12月20日に“おすす払い”には、洗い清められるので、御開帳となります。
年に一度の御開帳なので、年末に参拝する場合には、“おすす払い”に合わせて日程を調整してみてはいかがでしょうか。
多くの画家が作品に描いた“石薬師”の地や「石薬師寺」は、同様に多くの歌にも残されています。
“柴の庵によるよる梅の匂ひきてやさき方もある住いかな”
平安後期の歌人・西行(さいぎょう、1118年〜1190年)
“名も高き誓いも重き石薬師瑠璃の光はあらたなりけり”
室町時代の禅僧・一休(いっきゅう、1394年〜1481年)
“無病にと頼みすゑける石薬師かたき祈願を忘れ給ふな”
江戸初期の画家・岩佐又兵衛(いわさ またべえ、1578年〜1650年)
“春なれや名もなき山の薄霞”
江戸前期の俳人・松尾芭蕉(まつお ばしょう、1644年〜1694年)
それぞれ歌が刻まれた石碑が境内に建立されています。「石薬師寺」やその周辺の町並み、景観と共に歌を味わうと、より一層、趣きを感じられます。由緒ある寺院で、数百年もの時代を越えて読み継がれた歌を堪能してみて下さい。
江戸時代の参勤交代の折に東海道石薬師の駅を通る大名たちは、必ず自ら「石薬師寺」の本堂に参り、道中の無事安全を祈願したことも有名です。現在では、西国薬師三十三番霊場、三重四国番外霊場、鈴鹿七福神恵比寿霊場としても名を連ねています。
多くの人々を魅了し絵画や詩歌にも残された、泰澄や弘法大師・空海にゆかりのある高富山「石薬師寺」。四季折々の草花の色彩を楽しみつつ、参拝に訪れてみてはいかがでしょうか。
以上、歌川広重の『東海道五十三次』にも描かれた三重県鈴鹿市にある高富山「石薬師」の御紹介でした。
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