写真:肥後 球磨門
地図を見る飫肥城下町は、宮崎自動車道「田野IC」から県道を利用し南へおよそ40分でアクセスできます。最寄の駅はJR日南線の飫肥駅ですが、運行本数が少ないので車でのアクセスをおススメします。
飫肥城下町を象徴するのが、飫肥城址の入り口に建つ大手門です。江戸時代にあった大手門は明治初期に取り壊され、現在の門は昭和53年(1978)に復元されたものです。高さ12メートルの木造渡櫓(とろ)二階建てで、樹齢100年を超えた4本の飫肥杉を使い、釘を使用しない工法で建造されました。
本瓦葺の重厚な造りの門構えで白い漆喰の美しさも映え、この門の前に立つと江戸時代にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。飫肥城下町の散策はまずこの大手門から始めることをおススメします。
写真:肥後 球磨門
地図を見る大手門から城の中へ足を踏み入れると、往時の面影を残す石垣と飫肥杉の緑が出迎えてくれます。石段を上がると、広い空間の四隅に4本の杉が植えられていて、その中心に立って空を見上げると4本の杉の枝が空に十字を描いているのが見えます。ここは「しあわせ杉」と呼ばれ、中心に立つと幸せパワーが授かるパワースポットとなっているので、素通りせずパワーをもらってください。
しあわせ杉から奥に進むと本丸跡があります。本丸跡には樹齢100年を超す飫肥杉の林が広がり、苔むした地面と飫肥杉が創り出す静寂の世界は心休まるおススメの場所です。
写真:肥後 球磨門
地図を見る飫肥城大手門そばに、飫肥藩御三家の伊東主水の屋敷であった「豫章館(よしょうかん)」があり見学ができます。豫章館は廃藩置県によって飫肥藩が飫肥県となった際に、最後の藩主だった伊東祐帰(すけより)が初代県知事として移り住んだ屋敷です。飫肥藩の武家屋敷の中で最も格式の高い建物で、広い庭園を持つ風格のある佇まいは威厳があり、往時の息づかいを感じることができます。
飫肥城祉内には、樹齢100年以上の飫肥杉を使って江戸時代の書院造りを再現した御殿「松尾の丸」や美しい白壁の飫肥城歴史資料館があります。
豫章館を含めこれらは有料施設なので、飫肥城下町の施設7館に入館できる「由緒施設共通券」を買い求めて見学することをおススメします。
写真:肥後 球磨門
地図を見る飫肥城下町は、江戸時代の武家屋敷町、町人町、寺町などの町並みが多く残され、文化財保護法に基づく重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
代表的なのが大手門から右手方向へ進んだ「横馬場通り」と呼ばれる石垣と武家門が残る武家屋敷通りです。ここは屋敷の広さが900坪もあった高級武士の屋敷も立ち並んでいた場所で、東端には幕末に家老を勤めていた伊東伝左衛門の母屋部分と庭園が残っていて、無料で見学することが出来ます。
往時の面影を色濃く残し、日本の伝統に触れることができる武家屋敷通り。お供を連れた2本差しの武士がひょっこり現れてきそうな錯覚に陥るおススメの場所です。
写真:肥後 球磨門
地図を見る飫肥城下町は酒谷川(さかたにがわ)に囲まれた水郷の町で、昔は酒谷川から生活用水を引き込んでいました。現在は役目も薄れてきた掘割には城下町の風情を活かすために錦鯉が放流されています。
鯉が泳ぐのは、飫肥城から大手門通りを南へ下り大手門交差点を渡った町中にある「後町(うしろまち)通り」と呼ばれる通りです。
長く観光客の目を楽しませていた鯉が突然居なくなったのは2012年9月のことで、鯉ヘルペスの発生が原因でしたが、その後消毒が済み2年半後の2015年4月に復活しました。
城下町散策途中、閑静な風情が続く後町通りで鯉に出会えば旅の疲れが癒されるおススメの場所です。
飫肥城下町は江戸時代の風情を演出するために、「家は日本風に統一」「軒の高さを決める」など5項目の申し合わせ事項に決め、拡幅された国道222号の本町通りは城下町らしい落ち着いた佇まいになっています。
本町通りにはまるでプリンのような飫肥名物「厚焼き玉子」が食べられるお店もあるので、江戸情緒に浸りながら名物に舌鼓を打ってはいかがでしょうか。
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(2024/12/4更新)
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