写真:田中 六花
地図を見る京都からJRで約11分の膳所駅で下車し、北へ300メートルほど歩くと住宅街に溶け込む「義仲寺」が現れます。古くは粟津ヶ原と呼ばれ、琵琶湖に面した美しい景勝の地でした。
初めに、山門右手の提灯がかかる巴(ともえ)地蔵堂へ。「義仲寺」は木曽義仲の側室だった巴御前がしのんで建てた草庵が始まりともいわれています。女武将としても名をはせた、巴御前を追福する石彫地蔵にまずはご挨拶を。巴御前の供養塔は、境内にある義仲の墓の左隣に並んでいるので、こちらも併せてご覧ください。
写真:田中 六花
地図を見る木曽義仲は平家討伐の兵を挙げて都入りし勢力をふるうも、後白河上皇と対立。その後、源頼朝軍に追われ討ち死にしたとされています。享年31歳。その義仲を供養するため現れた尼僧が、巴御前の後身だったといわれています。
時代の移り変わりにより荒廃した「義仲寺」でしたが、室町時代末期に近江国守の佐々木候が「源家大将軍の御墳墓荒るるにまかすべからず」と再建に動きました。
短くも激しい人生を駆け抜けた義仲の最後の地に、情に厚くまっすぐな生き方にひかれた人々が昔も今も思いを寄せています。
写真:田中 六花
地図を見る義仲の墓の右隣りには「義仲公の墓がある義仲寺に自分の墓を建ててほしい」と遺言を残した、松尾芭蕉の墓が並んでいます。その忠誠心溢れた生涯とはかなさに強く惹かれ、大の義仲ファンといっても過言でないほどだった芭蕉。また琵琶湖周辺の美しい景観も深く愛し、たびたび「義仲寺」に身を寄せていました。
二人の墓前に立ってみると、時を超えてつながる糸をたどるような感覚に。ぜひ、歴史に浸るひと時をお過ごしください。
境内には、芭蕉の辞世の句といわれる『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』をはじめ、数多くの句碑も立てられています。さらに史料観には芭蕉が使っていたとされる椿の杖など、貴重な資料も展示されていますのでお見逃しなく!
写真:田中 六花
地図を見る境内の一番奥に佇む翁堂に、2016年・生誕300年を迎えた伊藤若冲の天井図『四季花卉図』があります。多作な若冲でしたが天井図は全国2ヵ所にしかなく、非常に貴重な作品となっています。若冲最晩年の作品で、キクやシャクヤク・ハス・ボタン等の草花が描かれた板絵15枚で構成。痛みが激しく実物は別に保管され、デジタル化で修復された複製画が展示されています。若冲の繊細な息遣いが伝わる花々を、ぜひご自身の目でお確かめください!
翁堂の正面祭壇には芭蕉翁座像があり、左右の壁には三十六俳人の画像も掲げられています。ここにも、たびたび「義仲寺」を訪れた芭蕉の軌跡が感じられます。
写真:田中 六花
地図を見るさすが芭蕉にまつわるお寺と言いたくなる、俳句ファン必見のおみやげが「芭蕉てぬぐい」です。イラストと近江を思う『行春を あふミ(おうみ)の人と おしみける』の句が記されています。そのほか「俳句手帖」なども。旅の途中に浮かんだ一句を綴ってみてはいかがでしょうか。
また滋賀ならではの、芭蕉も愛好した「大津絵」版画のポストカードも可愛いご当地おみやげとしておススメ。チェックしてみてくださいね。
『木曾殿と 背中合わせの 寒さかな』は、芭蕉の弟子・島崎又玄(ゆうげん)が詠んだ句です。芭蕉生前の作品ですが、300年以上の時がたった今では隣同士に並ぶ義仲と芭蕉の姿を見ていたかのよう。あまり知られていない二人の関係ですが、知れば知るほど興味深いものがあります。
義仲・芭蕉・若冲の息遣いを大切に守り、緑と花に囲まれた心落ち着く「義仲寺」。静かな時の中で、さまざまな歴史の足音に耳を澄ませてみませんか。
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この記事を書いたナビゲーター
田中 六花
旅・台湾・おいしいもの・人・ルーツ・音楽・可愛いもの・自然・ユニーク・生活…。これらにピンときて思わず心のシャッターを押した、あんなことやこんなことを綴っていきます。旅は道連れ、良い旅の友となりますよ…
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