写真:大竹 進
地図を見る創建は8世紀というイスファハン最古のモスク。イスラム教では金曜日が休日のため、金曜日のモスクと呼ばれるのは、イスラム教徒が集団礼拝を行うその地域で最も大きなモスクということになります。キリスト教で言えば大聖堂に当たるモスクと考えれば理解し易いかと思います。
長い歴史の中で多くの増改築が繰り返された結果、様々な時代の様式、タイルワーク、アラベスク文字などが見られ、イランにおける寺院建築の集大成と言われるこのモスクは、世界遺産にも登録されています。
中庭に面して四方にエイヴァーンが造られ、特に北西のエイヴァーン北側の礼拝堂には、ミフラーブと呼ばれるメッカの方向を示す壁の窪みが、コーランやアラベスク模様をデザイン化した漆喰で、見事に造り上げられています。ミフラーブはタイルで造られているものが多いのですが、この礼拝堂は漆喰で、説教壇も見事です。また中庭には二つの泉が設けらています。
写真:大竹 進
地図を見る1647年、サファヴィー朝のアッバース2世によって建設された華麗な宮殿。チェヘル・ソトゥーンとは40の柱という意味ですが、実際の柱は20本で、池に映る柱を合わせて40本という、ちょっとウイットのあるネーミングの宮殿です。日本より遥かに降水量の少ない乾燥したこの地域において、水と緑のある場所は将に地上の楽園であり、その様な宮殿を建てることは、権力者の証でもありました。
この宮殿は迎賓館として使われ、建設当時の柱は全て鏡で覆われていたそうですが、今でも宮殿正面入り口の壁面は、全面が当時は高価だった鏡で埋め尽くされ、まばゆく輝いています。宮殿内部は現在博物館になっていますが、玉座の間の壁面には歴代の王の戦闘場面や、祝宴の様子が描かれています。
宴の場面では酒を酌み交わす様子や、薄物を纏い素肌が透けて見える女性が踊る姿など、今のイランでは有り得ない光景が描かれ、ちょっとビックリ!他にも、妻が戦地に赴いた夫を思って泣く涙を溜める涙壺や、宮廷の生活を描いた細密画(ミニアチュール)などが展示されています。
庭園自体は宮殿が建設されるより前のアッバース1世の時代に造られたもので、庭園内は多くの樹木で溢れ、宮殿の前後には池が配された心地よい空間が広がっており、イランで世界遺産に登録されているペルシア式庭園9箇所の一つです。
写真:大竹 進
地図を見るイスファハン市内を東西に流れるザーヤンデ川に架かる、見事なアーチが連続する33アーチ橋(スィー・オ・セ橋)。イスファハンに遷都したアッバース1世の計画的な都市造りに伴って、1602年に完成しました。
スィー・オ・セとは33を意味し、橋脚部のアーチが33あることからこの名前が付いていますが、橋脚部のアーチの上には更に3連の小さなアーチが設けられているので、全体では100余りのアーチが並び、その様は実に壮観!
長さ300mのこの橋は、現在車の乗り入れ禁止のため、いつも多くの人々がそぞろ歩いています。橋の両サイドのアーチ内は幅1m程の細い回廊になっていて、橋中央の広い通りとは趣の異なる、エキゾチックな小道です。建設当初は橋中央がラクダや荷車などの通る車道、両サイドの小道が歩道の役目を果たしていたようです。
夜ともなると橋の内部からライトアップされるので、アーチのシルエットと川面に映るオレンジ色が、幻想的な光景を浮かび上がらせ、昼間同様市民の憩いの場として家族連れや友達同士が、アーチの下で佇んでいたり、のんびり歩いている様子が見られます。
写真:大竹 進
地図を見る33アーチ橋より2km程下流に架けられたハージュー橋。アッバース2世の時代、1666年に完成しました。長さは33アーチ橋の半分以下の133mですが、2層構造になっていいて、夏の夜に王が宴を催したというテラスが、橋の中央部に設けられています。ペルシア人の水に対する思い入れの強さを感じる橋でもあります。
この橋は川の水量を調節する水門の機能も持っており、33アーチ橋と同様、以前は車道と歩道に分かれていましたが、現在は車の乗り入れが禁止されているため、人々の憩いの場所になっています。日本ならカップルが沢山見られそうな場所ですが、イランではお国柄から家族連れや同性同士のグループが殆どで、男女のカップルは殆ど見られません。
橋のたもとには小さなライオンの石像があり、それにまたがるとたちどころに結婚できるという言い伝えがあるそうです。そのため何人もが次々にまたがるので、石像はつるつるに光って橋を見つめています。
写真:大竹 進
地図を見るヴァーンク教会は、イスラム教徒が大多数を占めるイスファハン市街において、キリスト教徒であるアルメニア人が住むジョルファー地区にある教会で、17世紀半ばに建てられました。
ザーヤンデ川の南にあるこの地区には、イスファハンに遷都したアッバース1世が新しい都を建設するに当たって、アルメニア人の優れた職人や商人を呼び寄せた際、彼らに信仰の自由を保障したことから、独自のキリスト教世界が形作られました。
教会の外観は一見イスラム教のモスクの様に見えますが、ドームのてっぺんに小さな十字架があることで、キリスト教会と判ります。アルメニア正教会はロシア正教会などと同じ東方教会に属するので、礼拝堂内もロシア正教の様な極彩色の壁画で埋め尽くされ、最後の晩餐などが描かれています。
ジョルファー地区には10箇所以上の教会がありますが、ヴァーンク教会はその中心となるもので、敷地内にはアルメニア人がイスラム社会にあって、如何にしてキリスト教の信仰と、アルメニアの文化を守って来たかを伝えるアルメニア博物館があります。
館内にはそれらの資料の他、世界最小の本といわれる、重さわずか0.7gの聖書があり、14ページにわたって7ヵ国語で主の祈りが書かれています。また更に小さなもので、聖書の言葉を記した髪の毛も展示されていますが、これは顕微鏡でしか見ることができず、一体どの様にして作り上げたのか不思議です。
かつて世界の半分と謳われたイスファハンは、イランを訪れたら必ず足を運ぶべき場所であることは間違いありません。
サファヴィー朝の古都イスファハンの中心であるイマーム広場と、その周囲の建築物は勿論のこと、今回ご紹介した巨大なモスク、華麗な宮殿、優美な橋、イスラム世界の中にあるキリスト教会など、想像以上に多くのペルシャ文化に溢れた都市です。
イスファハンを訪れて、是非あなたも栄光のペルシャの残照を見つけてきて下さい。
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(2024/4/19更新)
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