写真:松縄 正彦
地図を見る多賀城といえば古代、東北支配の一大拠点でした。多賀城周辺には多数のパワースポットが存在していますが、そのメインはやはり鬼門の方向にあります。
実は、多賀城の鬼門には塩釜に通じる道があり、この道から蝦夷が攻撃をかけ、城が焼けた事もあったのです。この鬼門を守っているのは、写真の陸奥総社宮です(メモ欄、散策マップ参照)。まずここに行きましょう。
「延喜式」(927年)によれば、当時、全国に多数(3,000社以上)の神社がありました。しかし全ての神社を参拝するのは大変なため、各国府毎に、多くの祭神を一ヶ所に合祀勧請する事となり、総社宮が設けられました。多賀城国府に設けられたのがここ陸奥総社宮で、陸奥国31郡・100社の祭神が合祀勧請されました。
従って、100社ものご祭神の総合力で城の鬼門を守った事になります。
写真の階段入口に、合祀されている神社名が記されていますので、これをご覧頂き、まずは拝殿にてパワーを十分に頂いてください。
現在、陸奥総社宮は安産守護、海上保護、大難除けなどにご利益があるとされています。また、拝殿左手側には“安産枕”が置かれており、これも効果満点とか。
なお、少し離れますが、塩釜市に有名な鹽竃(しおがま)神社があります。この神社も多賀城の鬼門に位置し、多賀城を守護していたといわれます。しかしいつの頃からか、”鹽竈神社に詣でる前に、まず陸奥総社宮に詣でないと効果がない”とされ、総社宮の重要性がここでも伝えられています。
写真:松縄 正彦
地図を見る拝殿を参拝されましたら、右手に歩を進めてください。樹齢600年といわれる老杉(写真)と樹齢200年の白木蓮の2つの神樹があります。
この杉と木蓮は、樹齢が長い所から“長寿で仲の良い夫婦”に見立てられ、“家族円満の幸せの神樹”とされています。
古代、東北の開拓にあたっては、各地から多数の移民がこの地に送られました。また、もともと東北では木蓮の白い花を農作業の種まきの目安とし、白木蓮を「種蒔桜」としていたといわれます。東北の厳しい自然の中、白い花の豊かな美しさが幸せと豊作を連想させ、“老杉と白木蓮の花化粧”と謡われ、語り継げられてきたのです。
ところで、伝承のように、単純に家族円満の神樹と考えて良いのでしょうか?これら神樹は総社宮の鬼門の方向に位置しています。また、この木蓮は多賀城国府長官が、赴任の際に京都から移し植えた、ともいわれます。木蓮が移民の代表である国府長官と関係するのであれば、老杉はもともと存在していた蝦夷を意味する事になるはずです。
従って、単純に家族円満ではなく、”蝦夷と移民が仲良く”と”二重の意味”が込められ伝承されて来たのではないでしょうか。このように理解する事で、”鬼門に神樹がある”意味が解けるはずです。
さあ、堂々たる老杉(白木蓮は囲われています)にそっと触れましょう。鬼門を意識する事で、家族の幸せとともに、争い事の解消がかなうはずです。
写真:松縄 正彦
地図を見る陸奥総社宮の参拝を終えましたら、総社宮の前の道を少し先に歩んでください。道路右手に細い路地があり、少し下ると写真の赤い鳥居があります。「荒脛巾(アラハバキ)神社」です。
この名前の神社は、古くから各地に数多くありました。しかし、その起源や歴史的背景については諸説あり、明確ではありません。“蝦夷が守り続けた神“、あるいは蝦夷自身も”荒羽吐(アラハバキ)族“と自称した、などといわれます。
写真の荒脛巾神社については、多賀城のすぐ傍、鬼門の方向にありますので、「賽(サイ)ノ神」としての役割、つまり蝦夷を蝦夷で抑える(撃退する)という役割があった、などという説もあるようです。支配される側の記録が通常残らない事もこのような説が多数ある背景なのでしょう。
現在、この神社は「足」の神様として知られています。国府多賀城駅からここまで歩くと足が疲れる方もおられるでしょう。まずはしっかりと拝んでください。
ところで、社殿の右手にある養蚕神社を見て下さい。ここには多数の”ハサミ“が奉納されています。説明板によれば、ハサミで”病の根を断ち切る“という意味があるとか。まさに、2つの神社を参拝する事で、足に限らず腰や下半身の病気根絶・完治に効く事になります。
ユーモアも混じった説明ですが、ここは多賀城の鬼門に位置します。
蝦夷と関係する神社にハサミ、と穿った見方をすれば、”争った歴史を断ち切る”という姿勢を意味している様にも思われます。ここにも二重の意味が隠されているようです。
古代、”鬼門”は鬼という邪悪な存在の通り道でした。しかし説明してきたように、神樹やハサミには、鬼を防ぐという考えを乗り越える二重の意味が隠されていました。戦いを終えた古代の人々の知恵だったのでしょうか?
写真:松縄 正彦
地図を見る謎解きを終えた所で多賀城政庁跡に戻りましょう。
政庁跡の中心には、基壇と礎石跡が復元された正殿跡(写真)があります。ここが古代、“東北支配の中心、権威の象徴だった場所”で、足の下には1300年前からの遺跡が広がっています。そっと礎石に触れてみて下さい。東北開拓にむけた国家のパワーとともに、謎をかけた人々の思いも足元から伝わって来るはずです。
ところで、この正殿跡、実は“現代のパワースポット”にもなっています。なんとそれは“宝くじ”。正殿跡の”ある場所”に触れると宝くじに当たるとされているのです。女性紙で報じられたのですが、ここは秘密の場所。ご興味のある方は多賀城のボランティアガイドに聞き、場所を特定してください。
多賀城鬼門を中心にご紹介しましたが、「貴船神社」や「多賀城神社」など、ここには他のパワースポットもあります。まだまだ隠された謎や暗号が眠っているかもしれません。ぜひ探してみて下さい。
なお、ここ「多賀城跡」は日本の100名城の1つ(7番目)にもなっています。しかし、軍事中心のお城とは異なり、ここは行政の中心地です。国府多賀城駅にスタンプが用意(改札近くの公衆電話横)されていますが、記念スタンプを押すときには蝦夷の人々のいろんな思いについても忘れないようにしましょう。そうすればすべてのパワーが得られるはずです。
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(2024/12/4更新)
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