写真:古都の U助
地図を見る京都の「神田明神」があるのは四条烏丸の交差点の西南にある「膏薬辻子」という風情ある路地の中。地下鉄四条駅を出て徒歩5分ほどの距離です。
京都「神田明神」は関東で討ち取られた平将門の首が晒されたと伝えられる場所なのですが、その後は何かと凶事が続き「市の聖」と呼ばれ市民の崇敬を集めた空也上人が、将門の首が晒された場所にお堂を設け手厚く供養をしたと伝わります。
はじめは空也供養の道場、とよばれていたのがいつしか訛って「こうやくの道場」に、そして道場は細い路地を意味する辻子(ずし)に変わり、現在は「膏薬辻子」と呼ばれています。
その膏薬辻子にある「神田明神」は注連縄が張られ、通常昼でもガラス越しに外から参拝するというスタイル。平将門の首は関東を目指し舞い戻ったという伝説から「無事帰る」ご利益があるとされ、軒先にちょこんとカエルの置物があるのがご愛嬌。
写真:古都の U助
地図を見る碁盤の目状に整然と道が並ぶ京都としては珍しく、「膏薬辻子」は四条通から南に入ったあと、途中2回かぎ型に曲がり綾小路通まで続きます。幅は約2メートル、長さは150メートルほど。とても風情のあるこの路地にはホテルや喫茶店、洋服生地の着物などを扱う店舗等いくつかの商業施設が点在しますが、基本的には職住一体のエリア。
平成24年には石畳風の路面が整備され、保水効果もアップし夏に打ち水をすると涼しさが長持ちするようになっています。また、地域の人たち手作りの室外機のカバーが用いられるなど様々な努力とアイデアで閑静な路地と歴史は守られています。
写真:古都の U助
地図を見る膏薬辻子の中ほどにある明治24年創業、竹中木版が運営する「竹笹堂」では伝統を継承しつつ、ポップで可愛いオリジナルの印刷小物を取り扱っています。ブックカバーや封筒、カードなど紙小物のほか、風呂敷、がま口などの布製雑貨などが販売され、どれも素敵なものばかり。
また、「竹笹堂」は木版を通じて様々な企画・コラボレーションを展開しており、特に有名なのは「光村推古書院」より例年秋頃発行されている「京都手帖」の装丁です。
京都手帖とは京都の歳時記が網羅されたスケジュール帳で、お祭りや各種イベント、地図や路線図などが掲載された京都ファン必携の観光の際に便利な秘密道具ともいえるもの。毎年全国の大手書店等で扱われる全国版のほか、京都府下のみ販売の限定版もあります。
写真:古都の U助
地図を見る膏薬辻子の南部には重要文化財にも指定され京都市内でも最大規模の町家とされる「杉本家住宅」があります。予約不要の公開日も設定されていますが、どうしても予定が会わないという方も膏薬辻子南部を杉本家の塀沿いに歩けば、その規模の大きさを実感していただけると思います。
また、杉本家は祇園祭の時期には屏風祭りの会場の1つになる他、綾小路に面する南側の表の間が、山鉾の1つ伯牙山(前祭で登場)のご神体や装飾品が公開されるお飾り所となります。
写真:古都の U助
地図を見る平将門は関東一円を手中に収め「新皇」を自称するも藤原秀郷らに討ち取られ、この地で晒し首にされたといいます。将門の首はいつまでも朽ちることなく生きているようであったとか、口を開き話をした等様々な話が伝わり、三日目の夜には光を発し関東へと空を飛んで行ったと伝えられています。
夜の神田明神は薄っすらとした明かりが灯り、神秘的な雰囲気。伝説を知っていればなおさらです。
膏薬辻子は京都中心地・繁華街から近くアクセスもとても便利。
もう少しだけ南に足を延ばせば菅原道真公の邸宅や学問所跡とされる菅大臣神社や、そこから西に位置するもともと班女神社といっていたのを縁起の良い繁昌神社と名を変えた繁昌宮など、ディープな歴史の魅力がいっぱいのスポットもありますよ。
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(2024/11/11更新)
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