本町オリベストリートは、元々は陶磁器問屋の街でした。時代の移り変わりにおいて街自体がターニングポイントを迎えていた時、明治から昭和初期時代に建築された建物に手を加え、陶器店、ギャラリー、骨董屋、食事処、カフェなどが立ち並ぶオリベストリートを創造しました。街を歩くと「積み重ねられた歴史」にそれぞれが独自にデザインした固有の表現が見られるでしょう。しかし、街全体は、調和のとれた「粋」を感じる長さ約400mのエリア街です。
「本町オリベストリート」の名前は、戦国大名・古田織部(ふるた おりべ)に由来します。古田織部は、千利休の茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって活躍をしました。美濃焼の恩人の名前にちなんだ「通り名」となっています。
このエリアは、昭和初期まで東濃地方の陶器問屋街であっただけのことはあり、贅を尽くした建築がなされました。そのようなこともあり、目にする一つ一つがこだわりを持って造られています。
また、現代人をホットさせる、昔見たであろう既視感を感じさせてくれるでしょう。
写真は、銀行の建物を改修したものです。
通りの中心地にある「織部うつわ邸」は、築100年程度になる米問屋を改築した陶磁器店。取り壊しの話も出ておりましたが、飛騨高山の宮大工を依頼し、現在によみがえりました。
店内に入ると、先ず初めに、重厚感のある黒光りをした床が目に飛び込みます。靴を脱ぎ、黒光りの床の上に足を載せると歴史の重みが伝わるでしょう。
格子戸からの光を取り入れた一角は、陶磁器の上品さが浮き立ちます。目に飛び込む一つ一つに、従来の日本家屋のもつ素晴らしさを再確認する事が出来るでしょう。
広い畳の部屋は、床の間などを利用してそれぞれのカテゴリーごとに陶磁器をおしゃれに配列してあります。美濃陶芸の斬新さを感じられる空間です。
庭園を眺めながら、抹茶などが味わえる「茶室」。茶室への渡りとして「延べ段(のべだん)」が再現。これは、古田織部の創案と伝えられています。構造は、大小の自然石と切石が組み合わされています。
次に紹介する「織部灯篭」も古田織部の創案と伝えられています。長い間、キリシタン灯篭とも呼ばれていました。これは、竿のふくらみ部分の陰刻模様がIHS(イエズス会)と読めるとの説があり、様々な想像を駆り立てられることができるでしょう。
灯篭の特徴は、本体が土中に埋め込まれており、安定した存在感を発揮しています。
次に紹介する織部の創案と言われるものは、弓箭棚飾り(きゅうせんたなかざり)。豊臣秀吉の怒りに触れた千利休が自刃した後、秀吉の命により茶道改革をしました。武家の茶法として広めた棚飾りであり、弓箭25本が並びます。
二階は、広々とした畳に商品が展示されており、窓ガラスの腰板は、スライド式の無双窓。日本家屋に住んだ、先人の洒脱な知恵が偲ばれます。この腰板の無双は必見。注意してみないと見逃してしまいます。
次に紹介するのは、階段。無垢のケヤキ仕様であり、高級感があります。引き出しが施されており、収納場所として利用されていた当時が偲ばれるでしょう。
次に紹介したいのは、ガラス戸が全て当時のままを利用していることです。重厚感ある建物と並び相乗効果を生み、品格ある風情を感じることができるでしょう。
宮大工さんが手を入れただけのことはあり、歪みが少しもありません。
人間国宝である陶芸家の展示コーナーも一角に設けており、買い物だけでなく、陶芸の素晴らしさも実感できます。
2階の一角は、先進的な陶芸作家の発信場である貸しギャラリーがあり、陶芸の育成に努めています。
このような地道な活動が、未来の「美濃焼」を創造することでしょう。
古来建築物を現代風にアレンジし、陶磁器の良さを引きたてる「織部うつわ邸」などなど。本町オリベストリートを歩くと、「粋」「洒脱」に巡り合うことができます。この街を歩き「何となく、良いなと感じる」それは、素晴らしいものを見たということです。
「本町オリベストリート」の良さを肌で感じてください。
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