知られざる事実! ガイドなしでも行ける戦争遺産の宝庫対馬で見る砲台群

知られざる事実! ガイドなしでも行ける戦争遺産の宝庫対馬で見る砲台群

更新日:2014/02/28 11:13

しののプロフィール写真 しの 旅する調理師
韓国までわずか50キロの距離にある対馬は、古来より諸外国との外交、戦争の前線の地として、国を守るに不可欠な島でした。

31箇所もの要塞を抱える島は日本には皆無であり、その希少価値は十分。要塞・砲台の中には、その存在を忘れ去られ、山深くに潜むものもありますが、今回は車で入り口付近までたどり着け、保存状態もよいものをご紹介致します。「戦争の負の遺産」は今新たな教訓となって心に蘇ることでしょう。

上対馬町豊にある「豊(とよ)砲台」

上対馬町豊にある「豊(とよ)砲台」

写真:しの

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上対馬は対馬でも最北部であり、まさに国境、戦争ともなれば国防の最前線となりえる場所です。

そのため、上対馬町豊には昭和9年当時世界最大規模の砲台が建設されました。
この砲台は実戦では発射される事はなく「撃たずの砲台」と揶揄されることもありましたが、この砲台の威圧があった為、第二次大戦の際の艦砲射撃による被害がすくなかったとも言われています。

そしてこの砲台跡は、ほぼ完全な形で今でも残っています。写真の部分は入り口ですが、奥には工作室、電気室、砲具庫もあり、入って見る事が可能です。
外から覗いてみると中は真っ暗。ちょっと怖いのですが、入り口にボタンがあり、照明が点灯するのでご安心下さい。入り口から離れて少し周囲を歩くと同じく入り口のようなものがあり、これは出口にあたります。中でつながっていますので、探検してみてくださいね。

豊砲台を上から覗いてみよう!

豊砲台を上から覗いてみよう!

写真:しの

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豊砲台は上からも覗けるようになっています。入り口のあった付近から遊歩道があり、坂をあがること5分程度で到着します。

上から覗くとやはり大きい! 完全な形で残っているとはいえ、それなりに年月が経過しているので木々が生えたりしていますよ。

訪れやすい砲台ナンバーワン!「上見坂堡塁(かみざかほうるい)」

訪れやすい砲台ナンバーワン!「上見坂堡塁(かみざかほうるい)」

写真:しの

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対馬空港から車で20分、厳原港から車で15分という立地にあるのが上見坂園地。その一部に堡塁(防御の為、石、土砂、コンクリート等で造られた陣地)跡があります。

園地につくとまず展望台があるのですが、この展望台から木々が茂る小路をあるくこと5分程度で堡塁跡に到着します。こちらは砲台だけでなく色んな施設も残っているので、明治時代後期の当時を偲ぶには絶好の場所。

写真は兵舎跡で、平時は弾薬庫として、臨戦態勢の時は砲発射要員、雑役炊事兵など100名程度の仮眠室として利用されていたようです。

砲座跡

砲座跡

写真:しの

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上見坂堡塁には砲座跡も残っています。

火砲は4門据えられていましたが、実際には敵が近づくことがなく使われる事はありませんでした。また車輪のついたカノン砲(砲弾の一種)を発射する場所へと運ぶため、写真の様な斜面を作り、上がっていったと伝えられています。

この斜面は現在でも登る事もできます。是非登って上からも大きさなどを確認してみて下さい。

堡塁のその他の施設

堡塁のその他の施設

写真:しの

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ここは堡塁なので、砲座や兵舎だけでなくほかにも施設があります。
勿論、爆薬庫跡もあります。また門柱、待避所などもありました。
興味深いのは井戸跡。やはり水がなければいつの時代も生きていけないんですね。
堡塁を見終わったら、上見坂園地の展望台も登ってみましょう。対馬の入り組んだ独特の地形を見る事ができ、小高い山になっているこの地が堡塁の場として選ばれた理由が何となくわかるように思えますよ。

最後に・・・

対馬の砲台は大きく分けて第一期(日清戦争前)、第二期(日清戦争時)、第三期(太平洋戦争時)に建築されました。
それらの中にはとんでもない山奥にあり、ガイドなしにたどり着くのは困難な場所もあるとか。
観光で数日対馬に滞在するだけの方にとってはそういった場所にあるところは困難かと思いますが、今回ご紹介した2箇所については観光地にも近く訪れやすいかと。
尚、砲台へ行く際は歩きやすい靴、暗い場所もあるのでじっくり中も見たい方は懐中電灯(できればヘッドライト)などがあると便利です。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/08/04−2013/08/05 訪問

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