滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」と伝教大師・最澄の歴史

滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」と伝教大師・最澄の歴史

更新日:2016/08/16 17:25

西には古都・京都の町並みを、東には滋賀の琵琶湖を一望できる比叡山。古代より神山として崇められ、日本仏教の各宗・各派の祖師たちを育んできた母なる山でもあります。
その基礎を固めた人物が、遣唐使として唐へ渡り、天台の教えや数多くの書物を日本に持ち帰った伝教大師・最澄。滋賀県大津市にある比叡山「延暦寺」を伝教大師・最澄の歴史と共に御紹介致します。

世界文化遺産、日本仏教の母山でもある比叡山「延暦寺」

世界文化遺産、日本仏教の母山でもある比叡山「延暦寺」
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比叡山「延暦寺」は、1994年(平成6年)にユネスコにより、京都市および宇治市の寺院、神社等とともに『古都京都の文化財』に登録された滋賀県唯一の「世界文化遺産」です。

日本神話に見られる大山咋神(おおやまくいのかみ)が鎮座する神山として、古くから崇められてきた比叡山。後に寺号として「延暦」を授かり「延暦寺」として称されるようになります。

比叡山「延暦寺」からは浄土宗の法然(ほうねん、1133年〜1212年)、浄土真宗の親鸞(しんらん、1173年〜1262年)、臨済宗の栄西(えいさい/ようさい、1141年〜1215年)、曹洞宗の道元(どうげん、1200年〜1253年)、日蓮宗の日蓮(にちれん、1222年〜1282年)など多くの指導者を輩出。まさしく日本仏教の母山です。

坂本ケーブルの延暦寺駅からは眼下に広がる琵琶湖を望めます。深い緑の山並みと青く澄んだ空と水面。景勝地としても名高い比叡山の眺望も是非、味わってみて下さい。

比叡山麓に生まれた伝教大師・最澄

比叡山麓に生まれた伝教大師・最澄
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比叡山を本格的に開いた人物が伝教大師・最澄(さいちょう、766年〜822年)です。比叡山麓(ひえいさんろく)の古市郷(ふるいちごう)、現在の大津市坂本本町に生まれ、780年(宝亀11年)に行表(ぎょうひょう、724年〜797年)を師として出家。785年(延暦4年)には東大寺で国家公認の僧と認められます。

後に比叡山に登り修行し、多くの経典を読んで天台教学を研究。804年(延暦23年)には遣唐使の一人として唐に渡り、日本に多くの経典や天台教義を持ち帰ったのです。また後に高野山「金剛峯寺」を開く弘法大師・空海も同じ遣唐使として、唐に渡っています。この時、遣唐使船の第一船には空海、第二船に最澄が乗って、唐を目指して海を渡りました。

1937年(昭和12年)、比叡山開創1150年を記念して建立されたのがこちらの「伝教大師童形像」です。“根本中堂”と“文殊楼”へと向かう階段の間にあります。

比叡山「延暦寺」の起源「一乗止観院」

比叡山「延暦寺」の起源「一乗止観院」
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寺号である「延暦寺」は、比叡山に点在する約150の堂塔の総称。約500ヘクタール、東京ドーム約107個分の敷地が境内となります。山内は地域別に東を「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、北を「横川(よかわ)」の三つに区分し、合わせて三塔と言います。

788年(延暦7年)、最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建し比叡山を開きました。一乗止観院は、東塔にある現在の総本堂の“根本中堂”となります。建物は国宝、回廊は国の重要文化財に指定されています。

また“根本中堂”は“一隅を照らす会館”と共に「全国学生比叡山競書大会」の展示会場ともなります。書道と言えば、弘法大師・空海が有名ですが、伝教大師・最澄も達筆として知られています。在唐中、草書の大家であった中国の僧・懐素(かいそ、725年頃〜785年頃)が最澄の筆力を賞賛したというエピソードも伝わっています。

伝教大師・最澄が『山家学生式』に説いた“国宝”とは?

伝教大師・最澄が『山家学生式』に説いた“国宝”とは?
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伝教大師・最澄は「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝と為す。故に古人の言わく、径寸十枚、是れ国宝に非ず。一隅(いちぐう)を照らす、此れ即ち国宝なり」と『山家学生式(さんげがくしょうしき)』の冒頭の一節である「天台法華宗年分学生式一首」に著しました。

ざっくり言うと、国の宝とは社会の一隅にいながら、社会を照らす素晴らしい心を持った人物であると説いています。最澄は、そのような国の宝となる人材を育成するための教育制度を整えました。その結果、比叡山「延暦寺」からは、多くの高僧が世に送り出されることになったのです。

「東塔」にはその『山家学生式』の一節が刻まれた石碑が建立されています。また、その国宝という言葉から名付けられ、仏像・仏画・書跡等の文化財を所蔵した“国宝殿”もありますので、そちらも是非、チェックしてみて下さい。

伝教大師・最澄の御廟“浄土院”

伝教大師・最澄の御廟“浄土院”
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「東塔」と「西塔」の地域の境目に位置するのが、822年(弘仁13年)に、56歳で亡くなった伝教大師・最澄を祀った御廟“浄土院”。弟子の慈覚大師・円仁(えんにん、794年〜864年)が、854年(仁寿4年)に中国・五台山「竹林寺」を模して建立しました。

“浄土院”を守る“侍真(じしん)”と呼ばれる12年間、山から降りずに籠山修行をしている僧侶が現在も毎日、霊前の給仕を行なっています。“十二年籠山行”として“千日回峰行”と共に歴史ある修行の一つです。

白砂が配された院内には沙羅双樹と菩提樹が植えられ、静謐で神聖な空間となっています。山林の中を通り抜ける“浄土院”までの道のりも、荘厳な雰囲気が漂っていますので、じっくりと参拝をしてみて下さい。

滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」と伝教大師・最澄の歴史のまとめ

「東塔」地域には延暦寺バスセンターがあり、比叡山山頂、西塔、横川へのシャトルバスや京都市内とを結ぶ路線バスも利用でき、アクセス環境も整っています。その他に宿坊「延暦寺会館」などもあるので、目的に合わせて御利用下さい。

国の重要文化財に指定されている“大講堂”や“釈迦堂(転法輪堂)”、“常行堂・法華堂(にない堂)”などの見事な建造物も多くある比叡山「延暦寺」。素晴らしい景観と共に、その歴史や教えに触れてみてはいかがでしょうか。

以上、滋賀県大津市にある比叡山「延暦寺」と伝教大師・最澄の歴史のご紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/03/23 訪問

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