僧たちの歴史と共に巡る。滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」

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僧たちの歴史と共に巡る。滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」

僧たちの歴史と共に巡る。滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」

更新日:2016/08/17 14:11

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

琵琶湖や京都の町並みを望める景勝地であり、世界文化遺産にも登録され、今なお人々を惹き付ける滋賀県大津市にある比叡山「延暦寺」には数多くの人物たちとのゆかりが伝えられています。
天台宗の名前の由来となった天台山で悟りを得た智、伝教大師・最澄の弟子たち、比叡山「延暦寺」の再興に尽力した僧・天海など。そのような人物たちとのゆかりや歴史を紐解きながら、比叡山「延暦寺」を御紹介致します。

天台宗の「高祖」天台大師・智と「宗祖」伝教大師・最澄

天台宗の「高祖」天台大師・智と「宗祖」伝教大師・最澄

写真:KISHI Satoru

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中国・隋の時代の湖南省出身の僧、天台大師とも称される智(ちぎ、538年〜597年)。長年の修行の後に、東シナ海に面する浙江省にある天台山で悟りを開きました。

その教えを基礎に日本で天台宗を開いたのが伝教大師・最澄(さいちょう、766年〜822年)です。天台宗の“天台”は、天台山で悟りを開いた天台大師に由来します。また天台宗では天台大師・智を「高祖」、伝教大師・最澄を「宗祖」と仰いでいます。

こちらは、1996年(平成8年)、中国、韓国、日本の三国の仏教徒が比叡山に集い世界の平和と人類の和合を祈り、天台大師・智の没後1400年の法要の際に建立された祈念碑。側面には中国語、韓国語の表記も刻まれ、国境を越えた祈りが捧げられています。

修禅大師・義真の顕彰碑

修禅大師・義真の顕彰碑

写真:KISHI Satoru

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現在の神奈川県、相模国に生まれた義真(ぎしん、781年〜833年)は、早くから最澄に師事、また唐語に堪能でありました。802年(延暦21年)、遣唐使として伝教大師・最澄が入唐した際には、通訳として共に海を渡りました。

帰国後も最澄を助け、天台宗の発展に寄与。824年(天長1年)には、天台座主の起源となる天台宗の僧首となり、最澄が亡き後の天台宗を統率します。また『天台法華宗義集』を著し、天台宗の根本的な教義をまとめ上げました。

こちらが修禅大師とも称される義真を顕彰する石碑。「修禅大師義真尊者顕彰碑」と力強い行書で刻まれています。

大楽大師・恵亮と円戒国師・真盛

大楽大師・恵亮と円戒国師・真盛

写真:KISHI Satoru

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恵亮(えりょう、802年/812年〜860年)は現在の長野県、信濃に生まれ、後に高野山に入ります。829年(天長6年)に義真から仏門へ入る際に守るための戒めを授かります。

“大楽大師”とも称され、当時、最も霊験に優れ、京都の妙法院を創建した人物でもあります。こちらは、恵亮を本尊として祀った「恵亮堂」。西塔地域の「常行堂・法華堂(にない堂)」と「釈迦堂」とを結ぶ石段の途中、西側にあるので、お見逃し無く。

また、その左手前には現在の三重県、伊勢出身の室町時代の僧・真盛(しんぜい、1443年〜1495年)の「寿塔」があります。「寿塔」とは、生前にあらかじめ造ったお墓のことです。真盛は“円戒国師”、“慈摂大師”とも称されました。そのため「円戒国師寿塔」と呼ばれています。現在の寿塔は1839年(天保10年)に再建されたものです。

「親鸞聖人旧跡」と「常行堂」

「親鸞聖人旧跡」と「常行堂」

写真:KISHI Satoru

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最澄によって教育制度の基盤が確立され、さらに門弟たちが天台宗の教義を体系的に整えていきました。長い年月によって培われた比叡山「延暦寺」の優れた宗教的土壌。特に鎌倉時代以降には、日本仏教の各宗各派を開く多くの人物たちを輩出します。

親鸞(しんらん、1173年〜1262年)も、9歳で出家し天台宗の僧となり、比叡山で20年間、修行をしました。浄土宗の開祖・法然(ほうねん、1133年〜1212年)の門弟となり、さらに研鑽を積み、後に浄土真宗を開いたのです。

こちらは、「親鸞聖人旧跡」で、奥には「常行堂」が見えます。葉や苔の緑と「常行堂」の色褪せた朱のコントラストが落ち着いた雰囲気を醸しだしています。比叡山「延暦寺」では、周りの自然と諸堂の建築との調和も見所の一つです。

慈眼大師・天海と比叡山「延暦寺」

慈眼大師・天海と比叡山「延暦寺」

写真:KISHI Satoru

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1571年(元亀2年)、織田信長(おだ のぶなが、1534年〜1582年)によって比叡山が焼き討ちされ、あらゆる建造物が灰となってしまいます。後に、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし、1536年〜1598年)や徳川家による保護、そして慈眼大師とも称される天海(てんかい、1536年〜1643年)の尽力により、再興されたのです。

天海は現在の福島県、陸奥(むつ)の生まれで、比叡山でも学び、後に江戸幕府と深い関わりを持った人物です。また天海は謎に包まれている部分も多く、実は明智光秀(あけち みつひで、1528年頃〜1582年)なのではないかといった説もあります。

こちらは、天海の住房の跡地に建てられた大きな石碑。坂本ケーブルの“ケーブル延暦寺駅”から比叡山「延暦寺」の入り口までの間にあります。様々な歴史や伝説を辿りながら、比叡山「延暦寺」を散策してみてはいかがでしょうか。

僧たちの歴史と共に巡る。滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」のまとめ

その他にも多くの人物のゆかりや伝説が残っている比叡山「延暦寺」。境内には人物紹介や諸堂の解説の案内板が数多く整っている点も嬉しいポイントです。

特に歴史、仏教、建築、人物、自然などに興味を持っている方にはオススメのスポット。以上、世界文化遺産にも登録され、景勝地としても有名な滋賀県大津市にある比叡山「延暦寺」を、天台宗やゆかりのある人物と共に御紹介してみました。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/03/23 訪問

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