驚きの伝説の数々!滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」

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驚きの伝説の数々!滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」

驚きの伝説の数々!滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」

更新日:2016/09/20 15:23

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

伝教大師・最澄が本格的に開く前より神山として崇められていた比叡山。その比叡山にある「延暦寺」には、驚くような伝説や逸話が数多く残っています。
“回峰地獄”とも呼ばれる「千日回峰行」や“相手の策略に陥る”という意味の「手に乗る」の由来、「大黒天信仰」の発祥など。
そのような比叡山「延暦寺」に語り継がれる伝説を、関連する人物や歴史にも触れながら御紹介致します。

「無動寺明王堂」と回峰行の始祖・相応和尚

「無動寺明王堂」と回峰行の始祖・相応和尚

提供元:(公社)びわこビジターズビューロー

http://www.biwako-visitors.jp/地図を見る

比叡山の三大地獄と呼ばれる三つの“地獄”のような修行があります。
浄土院の“掃除地獄”、横川(よかわ)・元三大師堂(がんざんだいしどう)で、あらゆる経を読み続ける“看経地獄”。そして山中の聖地などを順に礼拝しながら巡る修行を千日かけて行うという「千日回峰行」の厳しさを表す“回峰地獄”。

建立大師とも称される相応和尚(そうおうかしょう、831年〜918年)は、比叡山での勉学中の6〜7年間、毎日欠かさずに山から花を手折って東塔(とうどう)にある「根本中堂」の薬師如来に供え続けました。この行為が回峰行の起源と伝わっています。

そして、こちらが865年(貞観7年)に相応和尚によって開山された「無動寺明王堂」。寺役は「千日回峰行」を遂げた歴代の“大阿闍梨(おおあじゃり)”が務め、回峰行の重要な起点でもあります。

因みに「千日回峰行」で踏破する距離は約3万8000キロメートル。地球一周・約4万キロメートルと比較すると、その尋常では無い苛酷さがより際立ちます。

その手に乗るな!「横川中堂」と慈恵大師・良源

その手に乗るな!「横川中堂」と慈恵大師・良源

提供元:(公社)びわこビジターズビューロー

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第18世天台座主(ざす)であり、比叡山の中興の祖とも称される慈恵大師(じえだいし)・良源(りょうげん、912年〜985年)も数多くの伝説が残っています。

その昔、比叡山で大蛇が人々を襲うという事件が起きていました。そこで、慈恵大師・良源が大蛇に向かって、一言「霊験あらたかな比叡山で人を困らせてはいけない。もし神通力があるなら見せて欲しい」。すると大蛇は巨大化し、「横川中堂」を一巻きに。

「大変見事だ」と感心してみせ、さらに慈恵大師・良源は、もう一言「では私の手のひらの中に入る事はできるか」と。すると今度は、数センチの小さな蛇に大蛇は変化。そして、「悪事を働くのは良くない」と慈恵大師・良源はあっさり近くの池に封じ込めたのでした。

これが“相手の策略に陥る”の意味を持つ「手に乗る」という言葉の由来と伝わっています。

日本の大黒天信仰の発祥の地「大黒堂」と「三面大黒天」

日本の大黒天信仰の発祥の地「大黒堂」と「三面大黒天」

写真:KISHI Satoru

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伝教大師・最澄(さいちょう、766年〜822年)が現在の総本堂の「根本中堂」となる一乗止観院(いちじょうしかんいん)の創建の折、一人の仙人と出会います。話を伺ったところ、毎日3000人の食料を準備し私を拝む者には福徳と寿命を与えます、と仙人は約束。伝教大師・最澄は、「三面大黒天」に違いないと思い、尊像を彫り、こちらに安置したのです。

「三面大黒天」は、正式名称“三面六臂大黒天”と言い、日本で最初の三面を持った尊天。正面に、大黒天、右に弁財天、左に毘沙門天の尊顔となっています。豊臣秀吉(とよとみ ひでよし、1536/1537年〜1598年)が出世を願い、後に天下統一をし、関白、太閤となった事から“三面出世大黒天”の尊称もあります。

「大黒堂」の前には回すと願い事が成就すると言われる“摩尼車(まにぐるま)”もあるので、是非、心静かにゆっくりと回してみて下さい。

「常行堂・法華堂(にない堂)」と武蔵坊・弁慶

「常行堂・法華堂(にない堂)」と武蔵坊・弁慶

写真:KISHI Satoru

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源義経(みなもとのよしつね、1159年〜1189年)に仕えた平安後期・鎌倉初期の僧である武蔵坊・弁慶(べんけい、生年不詳〜1189年)に関連する伝説も残っています。その弁慶の逸話が残っているのが西塔(さいとう)にある「常行堂・法華堂」です。

弁慶が両堂を繋ぐ廊下に肩を入れて担ったという言い伝えから、“にない堂”とも呼ばれています。室町時代の初期に成立した軍記物語『義経記(ぎけいき)』などによると弁慶は比叡山の西塔で修行をした事が記されている事から、より一層リアリティーが増します。

左手の「常行堂」は阿弥陀如来を、右手の「法華堂」は普賢菩薩(ふげんぼさつ)を本尊としています。826年(天長3年)に建立され、後に焼失を繰り返し、1595年(文禄4年)に現在の建物が再建。1955年(昭和30年)に国の重要文化財に指定されました。

「開運の鐘」と「幽霊の鐘」

「開運の鐘」と「幽霊の鐘」

写真:KISHI Satoru

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僧たちが学問研鑽のために論議をする道場、東塔の「大講堂」の近くには「開運の鐘」があります。こちらの「開運の鐘」は「平和の鐘」とも呼ばれ、一打は50円。比叡山を訪れた記念に願いを込めて優しく打ってみてはいかがでしょうか。

比叡山には鐘にまつわる伝説も残っています。それは「幽霊の鐘」と呼ばれるもの。第19世天台座主でもあり戒律に厳しかった慈忍和尚(じにんかしょう)・尋禅(じんぜん、943年〜990年)が亡くなってから修行に怠ける者を戒めるために、幽霊となって夜な夜な現れます。しかも、一つの目と一本の足しかないという姿で。

掃除、学問、読経、回峰行など比叡山の厳しい修行に怠けると、その幽霊が鐘を鳴らして怠け者を金縛りにしてしまうというので、若い僧は修行に励んだと伝わっています。

滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」伝説のまとめ

鐘に関連したもう一つの伝説には「茄子婆さん」の話も残っています。顔色が綺麗な紫色で茄子に似ている事から「茄子婆さん」と呼ばれ、比叡山で大事件が起こる度に誰よりも早く必ず鐘を鳴らしたのです。比叡山焼き討ちの折にも、「大講堂」の前で鐘を鳴らしたと伝わっています。

その他にも様々な人物の伝説や数多くの逸話が残っている比叡山「延暦寺」。そのような言い伝えなどを頼りに、お参りしてみるのもオススメです。
以上、現在もなお語り継がれる伝説を中心にした滋賀県大津市・比叡山「延暦寺」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/03/23 訪問

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