青い空・白い雲・黒いお城に赤い橋・濠は透き通った水色と、五色に彩られた鮮やかな国宝天守群の「松本城」。季節によって違った色彩の松本城が現れてきます。ただ冬は寒くて、大天守の最上階には外へ出る事の出来る「廻縁高欄」を作る予定を諦めてしまいました。
またここに見える赤い橋(埋め橋)は東日本大震災と同じ年の6月に起きた地震の影響で残念ながら壊れてしまい、渡橋のための修理と再開の目途がたっていません(2016年8月現在)。
この角度から見るとこれが松本城?と首を捻ってしまいます。でもよく見ると手前に見えるのは城郭への入り口でもあり、城下に時を知らせた「太鼓門」です。その向こうに少し小さく見えるのは本丸と二の丸への入り口である「黒門」。そしてその奥に聳えているのが五棟の天守群(可視できるのは大天守・乾小天守・渡櫓で、辰巳櫓・月見櫓は見えません)です。
実はこの写真は「松本市役所」の7階に相当する展望室から写しています。エレベーターで5階に昇り、その後2階に相当する階段を上がって展望室へ着きます。ガラスの内側から松本城を一望できます。但しこの展望室は団体で昇ることは禁止になっています。
市役所を後にして、次に写真の通り「国宝松本城天守」の石碑に向かいましょう。大名町通りがお城に突き当たった処に手打ち蕎麦屋さんがあります。そのそばにありますので、すぐに分かります。他のお城にも行ったことのある方は、石碑の字の違いに気づくでしょう。
他のお城は大概「〇〇城址」とか「〇〇城跡」とあります。字の違いは、石碑の建てられた時期に使っていた漢字(当用と常用)と云われています。でも現存十二天守(国宝五城を含む)と云われる城は、当然「跡」という字はありません。
ちなみに現存十二天守は少しの事前知識があれば、あっという間に覚えられます。まず「御予算(五四三)」と覚えて下さい。これは、五は国宝・四は四国に・三は難しく、桜が古い石垣です。桜のきれいな「弘前城」一番古い天守の「丸岡城」石垣が倒壊しそうな「備中松山城」と語呂合わせしてみて下さい。
何処のお城でもその城主は、来城した他家の侍に対して自分の城を誇りたいと思います。また領民に対しての権威付けも必要なので、玄関先には自慢できるものを飾ります。上田城には「真田石」、大坂城には「蛸石」などと同様に、この松本城にも「玄蕃石」があります。
22〜23tあると云われており、松本城を象徴する立派な大石です。名前の由来は、築城主の石川数正が息子の官位から付けたという説が有力です。
もし松本城が他国との戦さに巻き込まれたら、この「黒門」が最後の砦になります。ここを破られたら敵は一直線に天守を目指します。それを防ぐ仕掛けは充分に施されています。枡形虎口と言って、敵が真直ぐに進めないように曲がった進路にして、周りから十字砲火を浴びせる造りです。もちろん太鼓門も同じ枡形虎口の城門です。
ちなみにこの枡形虎口は、右折れと左折れがありますが、圧倒的に右折れの枡形虎口が多くなっています。それは敵が右に曲がると正面の守備隊は、敵兵の身体の心臓がある左側を狙えるという利点があるからです。もう一つ解説書には載っていませんが、日本人は右利きが圧倒的に多いそうです。従って右から左へ的を追い掛けた方が当たり易くなるので、これを踏まえて右折れの虎口が多くなっています。
内堀と外堀の外側には総堀と呼ばれるお濠があり、それが一部現存しています。また内堀をかいぼりして確認したら、防御の一つとして底に松の木がたくさん刺さっていたそうです。太鼓門の入り口は通称「鵜の首」と言って、途中からお濠を渡る道を狭くしてありました。これは大勢で攻め込まれても、敵兵の勢いを削ぐ仕掛けです。
当たり前ですが、お城には城下町があります。その城下町には、お城に関連した建造物やおまじないが幾つも隠れています。駅からお城へ向かう道路は、途中でクランクっぽいカーブを描いています。ここには大手門があったそうです。また昔のお城の土塁が庭に残ったままのお味噌屋さんもあります(予約すれば見学可能)。
お城も面白いが城下町の風情もいい「松本市」に是非お出かけ下さい。
この記事の関連MEMO
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索