シアトルのパブリックアート〜アメリカに生きた日本人の歴史を語る〜

シアトルのパブリックアート〜アメリカに生きた日本人の歴史を語る〜

更新日:2017/09/27 16:56

いしい ひいのプロフィール写真 いしい ひい 元旅行会社勤務、アメリカ旅行ライター、フードコーディネーター
たくさんのパブリックアートが街の景観に溶け込んでいるシアトル。その中でも是非見て欲しいのが、パイクプレイスマーケットにある日本人作家の切り絵です。誰もが訪れる観光地のど真ん中にあるのに、気づかずに通り過ぎてしまう人が多いのが惜しい!私たち日本人の歴史を静かに語りかけている美しい5つの絵を、是非見つけてください。

パイクプレイスマーケットの人気店の隣をチェック!

パイクプレイスマーケットの人気店の隣をチェック!

写真:いしい ひい

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その絵は、終日混雑するパイク・プレイス・マーケットの正面入口の天井近く、ひときわにぎやかなパイク・プレイス・フィッシュ・マーケットのそばにあります。フィッシュ・マーケットは、商談がまとまるや、お店のお兄さんが魚を投げる威勢の良いパフォーマンスで知られるお店。魚が宙を飛ぶ瞬間をカメラにとらえようとたくさんの観光客が集まり、にぎやかな喝采が広がります。

そんな活気あるマーケットの一画で、5つの絵は私たちに静かに語りかけてきます。控えめな色彩と黒のコントラストが美しい、素朴な雰囲気の切り絵。シアトル在住のアーティスト曽我部あきさんが制作し、1999年この場所に設置されました。

絵が描き出す、日本人のアメリカ物語

絵が描き出す、日本人のアメリカ物語

写真:いしい ひい

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5つの絵が描き出すのは、シアトルやその近郊に移住してきた日本人の姿。私たちの先祖の「アメリカ物語」です。1880年代から移住してきた彼らの多数は農業に従事していて、農産物を消費者に直売するパイク・プレース・マーケットの創設に大いに貢献しました。1907年頃に市場が開設され、1940年頃には店子の約3分の2を日系の農家が占めていたのです。

一つ目の絵のタイトルはSong of the Earth。新天地で汗水流して農地を開墾する様子が描かれています。日本人はいつの時代も働き者なのですね!

色鮮やかに、農家の収穫の姿

色鮮やかに、農家の収穫の姿

写真:いしい ひい

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二つ目の絵はSong of the Farmers、黙々と農産物を収穫する家族の姿が描かれます。大人だけではありません、遊びたい盛りの小さな男の子もお手伝いしています。その姿がなんとも愛らしい!切り絵ならではの温かみを感じて、思わず笑みがこぼれるような優しい絵です。

シアトル近郊は今も昔も、ストロベリーやラズベリーやリンゴなど果物の生産地。絵のなかで赤と緑が、ひときわ鮮やかで印象的ですね。

喜びの歌、そして悲しみの歌

喜びの歌、そして悲しみの歌

写真:いしい ひい

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写真は三つ目の絵、Song of the Joy。自分の畑で収穫した農産物をパイク・プレイス・マーケットで販売している姿です。アメリカに移住して何年も経ち、ようやく日々の努力が報われ生活が安定してきた時代の、まさに喜びの歌。働くことの充実感や、自然の恵みに感謝する思いが現れています。

しかし時は移り、太平洋戦争が始まりました。四つ目の絵は、Song of the Sorrow、悲しみの歌。1942年、日本人を祖先に持つ者全員が米西海岸から追放されることになったのです。彼らは丹精こめて作り上げた農地から追放され、遠く離れた強制収容所に送られました。農夫がいなくなった畑には雑草が生え、土地は悲しみに満ちています。

パイク・プレイス・マーケットには空き店舗が並び、1970年代に再開発されるまで廃れた状態が続きました。

パブリックアートのメッセージ

パブリックアートのメッセージ

写真:いしい ひい

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そして最後の絵はSong of the Memory。終戦を迎えてもシアトル周辺では人種偏見が強く、再び農業を始めることができた日本人はごくわずかでした。

絵の隣には「現在、パイク・プレイス・マーケットに日本人・日系アメリカ人の店舗はひとつもありません」との説明が。このパブリック・アートを見るとき、戦争によって如何に多くの人の運命が変えられたか、考えずにはいられません。

日本人への愛情に満ちた美しい切り絵を、是非多くの人に見ていただきたいと思います。

まとめ&おまけ

パイク・プレイス・マーケットの「市民が直接生産者と出会って産物を買う」という理念は、今も昔も変わりません。現在シアトル近郊ではオーガニックでサステイナブルな最先端の農業が盛んに行われて、その発展に日本人が寄与していたことは間違いありません。

余談ですが、パイク・プレイス・マーケット入口の花屋さんの前の歩道に、在原業平が詠んだ和歌のプレートがはめこまれています。その花屋のオーナーで、日本が大好きだったドレイク・サラデーさんを追悼するために、1995年に設置されました。

いつの世も、敵意ではなく愛情で人々がつながればいいですね。歴史を知り、互いに理解しあうことも、パブリックアートの願いのひとつなのかもしれません。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/28 訪問

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