吹屋銅山の歴史は大同2年(807年)の開坑と伝えられています。本格的な坑道の歴史は大坂泉屋(住友財閥の前身)によって天和元年(1681年)に始まり、明治期に三菱財閥の岩崎家までの長い間、続きました。銅山で働く人たちは最盛期で、1200人もいたとされています。
標高550メートルに位置する「吹屋ふるさと村」は、1.5キロメートルの通りを挟んで古い建物が並ぶ集落です。ほとんどの建物の屋根は石州瓦であり、外壁の赤褐色はベンガラです。
「吹屋ふるさと村」は入場料がありません。1.5キロメートルの観光通りの両端に広い無料の駐車場があり、一般車両はそちらに駐車します。観光通りの中央に一本ある通りを走るのはローカルバスのみ。静かな道を歩き、両側の赤褐色の美しさを楽しむことが出来るのです。
ベンガラとは「弁柄」と書きます。語源はオランダ語のBengalaから来ているとされます。また、江戸時代にはインドのベンガル地方から顔料として輸入していたことから、ベンガルがなまってベンガラとなったという説もあります。
幕末から明治期にかけて、鉱山から取れる硫化鉄鉱石を使って、ベンガラ(酸化第二鉄)は生産されました。これは、捨てられた石から偶然発見されたものと言われています。
ベンガラの生産で財を成した人たちは、自分の家を豪華にしたいと考えました。その中で吹屋の特長は、それぞれの人が独自に家を豪華にするのではなく、集落として美観の統一を図ったことなのです。皆で相談の上、島根県の宮大工を招いて町並みを考えて建築をしたことにより、現代でも美しく、しかも極めて独自な景観として残されることになったのです。
天然のベンガラは高級品であり、高値で取引されるようになりました。顔料として様々なものに使われており、磁器・漆器だけではなく、船舶の塗装や建物の外壁にも使われてきました。現代では主に染物の顔料として、そして石灯篭にも使われ、毎年9月に行われる吹屋ふるさと村のイベント「ベンガラ灯り」で、通りを彩っています。
通りの美しさを楽しみながら、お土産店を覗いてみましょう。そこで様々なものを手にすることが出来ます。染料として直接ベンガラを購入することも可能です。衣類、和紙等を染めたものが多くあり、和の美しさが感じられるはずです。ベンガラ染の特長は色あせが少ないこと。長く使い続けることが出来るのです。
また、通りを歩いているとベンガラ染めをしている「職人」に出合えるかも知れません。遠藤裕志さんはベンガラ染めに魅せられ、鳥取県から移住してきて作品を作り続けています。染物について色々と教えてくれますので、見かけたら気軽に話しかけてみて下さい。観光通りのほぼ中央、麻田百貨店の辺りです。
藤森食堂前の細い道をクランク状に曲がってさらに進むと、山神社に出ます。狛犬の間を通り、石段を上がってみましょう。そこから町並みを見下ろすことが出来ます。石州瓦の屋根が見える高台もまた、美しい景観と言えます。町を見下ろしながら、長い歴史を感じてみて下さい。
いかがでしたか?単に古い町並みではなく、赤褐色の独特の世界観は一度見たら忘れられないはずです。これを機会に岡山県高梁市「吹屋ふるさと村」に、足を運んでみて下さい。
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