フランスの首都・パリといって思いつくのはやはりエッフェル塔。完成したのは1889年のパリ万博にまで遡るという、歴史あるパリのランドマークです。海外旅行に行ったことのない人でもエッフェル塔の存在はみなさんご存知なのではないでしょうか。
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地図を見るそんなパリの象徴的なエッフェル塔が、日本の佐賀県になぜか存在しています。佐賀県佐賀市から神崎市へとつながる県道48号線沿い、ちょうど市境に近い場所にエッフェル塔が立っています。
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地図を見るこのエッフェル塔、近寄ってみるとかなりガチな造りだということに驚くでしょう。特に何かの看板・広告を目的として建てられたようには見えません。周囲の田園風景とミスマッチなこの塔は、地元では「佐賀のエッフェル塔」として知らない人はいない程に有名な存在。ちなみにgoogle mapでもちゃんと「佐賀のエッフェル塔」と表示されます!
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地図を見るこの「佐賀のエッフェル塔」を手掛けたのは塔を敷地内に有する、板金塗装業「有限会社馬場ボデー」の社長・馬場憲治さん。20代で訪れたフランスでエッフェル塔を目にし、その技術力とデザインの美しさに憧れ、作ってみようと決意したのだそう。
とはいうものの、決意したからといって誰でもエッフェル塔が作れるものではありません。試行錯誤の上、5年もの歳月をかけて1982年にエッフェル塔が完成。しかし、そのエッフェル塔は工場移転のため解体される運命に。実は今現在のエッフェル等はその後に再び作り直され、1999年に完成した2代目だったのです。1つだけじゃなくて2つも作ったという事実に驚愕!
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地図を見る実はこの「佐賀のエッフェル塔」、よく見るとフランスのエッフェル塔と異なる部分があることに気づきます。塔の脇に2本、小さな塔が引っ付いているのです。実はこれ、本家のエッフェル塔の改造計画を元に作られたもの。「佐賀のエッフェル塔」の噂を聞いてやってきた東京在住のフランス人からエッフェル塔の改造計画の存在を知り、その設計図を元に2本の塔を付け加えたのです。
しかし、本家の改造計画は資金難のために断念されており、ある意味ではオリジナルを超えた存在となってしまったのです。その後も気になる部分があれば修正が加えられており、エッフェル塔に費やした費やした鉄鋼は50トンを超えるそうです。
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地図を見るちなみに「佐賀のエッフェル塔」はハリボテではありません。備え付けのハシゴで塔を登ることもできるのです。その高さは22mで高さ300mを超える本家のエッフェル塔と比べればミニチュアサイズとはいえ、ちゃんと展望台としての機能を持たせた形で作られているのです。塔の上からは佐賀平野が一望!
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地図を見る「佐賀のエッフェル塔」を手掛けた馬場さんは板金、塗装、塗料の1級技能士や2級自動車整備士免許など、保有する国家資格は実に26!そしてエッフェル塔だけで有名なわけではありません。なんと実物大のゼロ戦を復元したことでも知られているのです。しかもそのゼロ戦は映画「永遠の0」の撮影で使われたという本格的なもの!
それだけではなく、スプレーアートや絵画では幾度も賞を取るなどアーティストとしても知られ、更に交通事故後のリハビリで始めた棒高跳びではアジアマスターズ陸上競技大会で優勝するなど、多種多彩な才能で知られており「佐賀のダヴィンチ」に異名も!そんな天才が手掛けたのが「佐賀のエッフェル塔」だったのです。
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地図を見る何もない佐賀平野に名物を作ろうと手がけられた「佐賀のエッフェル塔」は今や立派な佐賀名物の一つ!完成時の除幕式にはフランス総領事も出席し、1万人もの見物客が詰めかけたといわれています。
長い時間と途方もない費用をかけて作ったエッフェル塔なのに、本人は「暇だったから作った」とまるで悪戯でもしたかのような言いぐさ。そんな佐賀のダヴィンチが作った傑作「佐賀のエッフェル塔」をぜひご覧になってください。
住所:佐賀県神埼市神埼町尾崎312
アクセス:JR佐賀駅から車で約20分
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(2024/11/9更新)
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