紺屋海道の入口は、半田赤レンガ建物の道路を挟んだ向い側。歩道橋を渡り終えると、「紺屋海道」と刻み込んだ真新しい道標が迎えます。
ここからすぐの海道脇に火の神様、秋葉神社の2m四方の小さな秋葉講(北講)の祠があります。後方と左右の3面が赤レンガの壁です。祠の真うしろ上部2個のレンガに「イ」刻印があり、レンガは岡田煉瓦社製。半田赤レンガ建物に使用された赤レンガと同じレンガなのです。半田赤レンガ建物には赤レンガを約240万丁使用していますが、秋葉講は500個ほど。その数、4,800分の1ですが、祠を火災からしっかり護っています。
紺屋海道入口周辺では、黒塗り民家が並び、レトロ感と共に、古い港町の雰囲気を感じることができます。昔はすぐ近くまで海でした。幅3mほどの紺屋海道のゆるやかなカーブが、訪問者の興味をかきたて道の奥へと誘います。
紺屋海道界隈には千石船の帆を染める紺屋が数軒建ち並んでいたといわれています。ただ、どこに紺屋があったかなどを明確に示す古文書などが見つからず、謎のまま。紺屋海道入口から200mほど進むと「紺屋海道講中」と「秋葉神社」と刻まれた石柱が囲む秋葉神社(紺屋海道講)と常夜灯があります。この界隈で、唯一「紺屋海道」の場所を示す痕跡です。
紺屋海道入口から始まる黄色い線の中に、ピンク色の幸運のハートマークが3か所埋め込まれている場所があります。1か所目は秋葉神社前!2か所目は、もう少し歩いた「紺屋海道」紹介の看板前(写真)。そして3か所目は・・・。
ハートのすぼんでいる方向を目印に進みます。
紺屋海道は入口から道路左端が黄色く塗られ、酢の体験型博物館・ミツカンミュージアムのある半田運河地区へ徒歩約20分で行くことができます。山車の唐子車(からこぐるま)さやを越えていきます。
突き当たると左手正面に順正寺本堂の巨大な甍(いらか)(写真)が目に入ります。海道右側に玄関の佇まいが魅力のギャラリーはなくら・うさぎ屋、左側は手焼きせんべいが評判の米市商店に挟まれた紺屋海道の代表的風景。ゆるくカーブする紺屋海道では時折、住民の車や郵便屋さんが現れます。
この位置で振り返ると、愛知県指定天然記念物、摂取院のイブキ(ヒノキ科)の幹周約4m、樹高15mの大木が間近に見えます。雲がぽっかり浮かぶ巨木の形は必見!界隈は、龍台院、摂取院、順正寺が150mほどの距離で東西に並び、薬師寺や4講の秋葉神社、山車のさやなどが界隈に集中し、寺町の雰囲気が漂っています。
順正寺から500mほど黄色線に沿って歩くと、半田旧商店街。ごん狐の童話作家、新美南吉が通った書店「同盟書林」前を通ります。
ここから、中埜酒造の博物館「酒の文化館」に向かいますが、3ヶ所目のハートマークが雑貨屋さん前にあるので、見つけましょう。
更に進むと、清酒「國盛」で有名な中埜酒造の博物館「酒の文化館」です。200年間、酒を製造した蔵が博物館になっています。白の漆喰窓に黒塗りの外壁、重厚でクラシックな雰囲気です。酒造工程や道具が展示され、おススメの見学スポットです(入場無料)。酒の文化館は、年間5万人もの入場者があり、小学生たちも地元の醸造文化に親しみます。
中埜酒造は、中埜酢店(現在のミツカン)の中埜又左衛門から初代小栗富次郎が酒造株を譲り受けた酒造りの老舗。中埜酒造は、江戸末期から明治維新にかけて急激に発展し、中埜酢店も凌ぐほど繁栄します。「國盛」の酒名は、文明開化でさらなる発展を願い名付けたもの。明治23年(1890年)に知多半島で実施された陸海軍連合大演習に際し、(酒の文化館の場所にあった)三代目小栗富次郎邸が、明治天皇のご逗留先・大本営に指名されました。初代小栗富次郎は中埜家の商品輸送船の船頭で、廻船での目覚ましい才覚を中埜又左衛門から認められ、酒造株を譲り受けました。更に、小栗家のチャレンジ精神は、明治31年(1898年)に半田赤レンガ建物で製造されたカブトビールの経営参加につながります。
酒の文化館裏は半田運河。対岸の黒塗り醸造蔵が並ぶレトロでシックな半田運河地区風景を楽しめます。
半田運河地区にあるミツカンミュージアムでは、紺屋海道界隈の江戸末期〜明治維新当時の雰囲気を是非味わってみてください。半田の31台の山車組の法被のイメージがのれん状に染め抜かれ、回廊の先まで紺色に埋め尽くされる景色に引き込まれますよ。「風の回廊」と呼ばれる展示コーナーにありますので、是非ご覧になって下さい。
住所:紺屋海道入口は、愛知県半田市堀崎町周辺
アクセス:名鉄住吉駅から東へ徒歩5分の半田赤レンガ建物前歩道橋を渡ると紺屋海道の道標
情報は2017年12月時点のものです。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/9/18更新)
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