日本最年長1400歳!奈良・飛鳥寺の「飛鳥大仏」と眉目秀麗な「聖徳太子像」

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日本最年長1400歳!奈良・飛鳥寺の「飛鳥大仏」と眉目秀麗な「聖徳太子像」

日本最年長1400歳!奈良・飛鳥寺の「飛鳥大仏」と眉目秀麗な「聖徳太子像」

更新日:2017/04/03 11:12

政田 マリのプロフィール写真 政田 マリ 仏像ナビゲーター

日本にはたくさんの仏像が全国各地にありますが、一番長い歴史を刻む仏像はどこにあるかご存知でしょうか?奈良県明日香村、鳥がさえずり稲穂が揺れる広大な緑の里にその仏像はあります。「飛鳥大仏」として知られ造立は609年まで遡ります。随所に補修の跡を残しながら今から1400年以上前から一度もそこを動かず鎮座し続ける大仏と、美しい立ち姿の聖徳太子像。「飛鳥寺」に伝わる2躯の仏像をご紹介します。

蘇我馬子が創建した法興寺に造られた本尊

蘇我馬子が創建した法興寺に造られた本尊

写真:政田 マリ

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近鉄・橿原神宮前駅東口から飛鳥周遊バスに乗り換え15分、周囲一面緑がまばゆい飛鳥の里に「飛鳥寺(安居院・あんごいん)」はあります。今から1400年ほど前、ここ奈良県の飛鳥の里は日本の首都でした。天皇が住居を構え、周囲には皇太子や貴族たちが宮殿を持ち、それはそれは賑やかな都の風景がここにはあったのです。

「飛鳥寺」は588年、聖徳太子とともに仏教を崇拝し政治に取り入れようと尽力していた有力貴族の蘇我馬子(そがのうまこ)が寺院を作ることを願い、8年後の596年に創建された日本初の本格寺院です。もともとは「法興寺(ほうこうじ)」といい、塔を中心に東西と北に金堂を配し、周囲に回廊を巡らし北側に講堂をも持つという本格的な大寺院の造りでしたが、平城京遷都の際に寺は「元興寺(がんごうじ)」となり新都へ移転してしまい、主要な伽藍と本尊が残ったこの地は「元元興寺(もとがんごうじ)」と名を変えました。現在は本堂を中心に観音堂、鐘楼などがある小ぶりな境内ですが、その時に残された本尊は「飛鳥大仏」と呼ばれ幾度の修復の跡を刻みながら1400年に渡ってここにあり続けているのです。

蘇我馬子が創建した法興寺に造られた本尊

写真:政田 マリ

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門前には目を引く達筆の石柱があります。これは寛政4年(1792年)に作られたもので、飛鳥寺への参拝の道標として彫刻されたもの。台石は1400年前の創建時に伽藍の柱の下に使用されていた礎石です。

飛鳥彫刻を今に伝える貴重な釈迦如来像

飛鳥彫刻を今に伝える貴重な釈迦如来像

写真:政田 マリ

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本堂で静かに坐す「飛鳥大仏」は像高275.2cmと見上げるほど。座ってこのサイズですから、もし立ち上がったならどんなに大きいことでしょう!これが仏さま実寸大と言われる一丈六尺サイズの丈六仏です。大仏と言えど東大寺の奈良の大仏とは正式名称が違います。奈良の大仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、飛鳥大仏は釈迦如来(しゃかにょらい)で仏教の開祖であるお釈迦さまです。ゴツゴツと骨ばったお顔で、「不器用ですから…」と言いながら慈悲深い愛で私たちを救ってくださる、そんな男気溢れる印象です。

目はアーモンド型、柔らかいなで肩に分厚い衣がしっかり両側にかかり、お腹のあたりで深く衣紋を刻み、お顔ほどの大きな右手のひらを優しくかざしています。法隆寺の本尊と同じ鞍作鳥(くらつくりのとり)という渡来系の仏師が当時銅15t、黄金30kgを使って造ったという、日本で最古であり飛鳥時代を代表する仏像です。

造られた当時は鍍金仕上げだったといいますからキラキラと黄金に輝くお姿だったようですが、長い年月の間に次第に金が剥がれ、現在は表面に銅が露わになりドーンと重量を感じさせる黒っぽい肌になっています。1400年もの長い年月はそのお姿の印象を変えてしまいましたが、動かず失われず今もなおそこにあり続けることのありがたさをその満身創痍なお姿で感じ取ることができます。

一度は大炎に包まれた不屈の復興仏

一度は大炎に包まれた不屈の復興仏

写真:政田 マリ

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日本に仏教がやってきてすぐに造られたこの飛鳥大仏はこれまでに幾度となく危機を乗り越えてきました。平城京、平安京への遷都もお寺の存続には大打撃でしたし、鎌倉時代の大火災では全身に損傷を受けました。頭部、両ほほ、唇、顎の辺り、手のひらなど無数に傷跡を残しながら力強く坐すそのお姿に不屈の精神を垣間見ることができ、「よくぞ平成の世まで残ってくださいました!」と感動してしまいます。

銅製の仏像は火災などで損傷を受けた場合、旧仏を溶かし新仏に鋳造し直すことが多いのですが、飛鳥大仏は被災した仏さまを生かして失った部分を付け足す形でその姿を再現しています。現在、お顔と右手などの一部に造像当時の姿を残していて、修理をする時にも当初の姿を参考にして造り直されたと思われます。飛鳥の世に生まれたお釈迦さまは1400年もの長きに渡り人々を見守り、そして人々に守られてきた貴重な仏さまなのです。

艶めかしい「聖徳太子立像」も必見!

艶めかしい「聖徳太子立像」も必見!

写真:政田 マリ

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創建の蘇我馬子を始めとする蘇我氏といえば、政治に仏教を取り込み日本が仏教国となるきっかけを親戚関係にあった聖徳太子とともに作りました。この明日香の地にある「橘寺」に生まれたとされる聖徳太子は、のちに神格化され崇められる存在となりました。鎌倉時代には太子信仰のブームが再来し、法隆寺のある斑鳩やここ明日香は聖地となり、太子を慕う信者たちがたくさん訪れたといいます。

「飛鳥寺」にも飛鳥大仏の左奥に「聖徳太子像」が祀られています。太子が16歳の時、病気になった父用明天皇のために病気平癒のご祈祷をされているお姿です。両手で香炉を捧げ、髪を角髪(みずら)に結い3mほど先に父のお姿を思い浮かべるように目の焦点を合わせ真摯にご祈祷する表情は息をのむほど美しいのです。仏さまに色気というのはどうなのかと思ってしまいますが、本当に艶やかで眉目秀麗。室町時代に作られたと伝わり、「飛鳥大仏」とともに「飛鳥寺」で必ずお会いしたい仏さまです。

大化の改新で敗れた蘇我入鹿の首塚

大化の改新で敗れた蘇我入鹿の首塚

写真:政田 マリ

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飛鳥寺を西側に抜けたところに五輪塔があります。
これは645年、大化の改新の時に中大兄皇子に暗殺されてしまった蘇我入鹿(創建者・蘇我馬子の孫)の首が飛鳥板蓋宮からここまで飛んできたという伝説があり、襲ってきた入鹿の首を供養しようと埋められ石塔が置かれたと言われています。

現在の五輪塔は高さ149cm。鎌倉時代から南北朝時代に造られたと考えられていて、特徴として笠の形をした火輪の部分が大きく厚みを持たせて作られています。

仏教が日本に根付き始めた時代に生きた蘇我入鹿。田園風景にぽつんと佇む五輪塔周辺は夏には黄色いひまわりが咲き誇ります。

聖徳太子も拝んだ!?全身で歴史を語る「飛鳥大仏」

今では日本全国当たり前のように各地にある寺院と仏像。そのスタートとなったのが「飛鳥寺」であり「飛鳥大仏」なのです。造像された年から考えると聖徳太子もこの仏さまの前で手を合わせていたのかもしれませんね。静かな本堂で大きなお釈迦さまと向かい合うと、数々の苦難を経験してきた人生の大先輩に会えたようで安心感に包まれますよ。

聖徳太子が生まれ、青年期まで過ごした飛鳥の地。そこに根付いた大仏信仰と太子信仰を今に伝える「飛鳥寺」の素敵な仏さまに皆さんもぜひ会いに行ってみてください!駅から循環バスも出ていますが、レンタサイクルも良いですよ!

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/08/08 訪問

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