写真:乾口 達司
地図を見る姫路市営モノレール(姫路市交通局モノレール)は兵庫県姫路市にかつて存在したモノレール。姫路駅から手柄山駅までを結んでいました。路線距離(営業キロ)は1630メートル。あいだに大将軍駅があるだけのわずか3駅から成る路線でした。開業は昭和41年(1966)。その年の4月6日から6月5日まで開催された姫路大博覧会の会場と姫路駅とを結ぶ輸送手段という名目で姫路−手柄山間が開業されましたが、将来的には南部の沿岸に広がる工業地域や北部の住宅地域、ひいては日本海側の諸都市にまで延伸し、姫路市および兵庫県を南北に貫く大動脈となることが期待されていたようです。しかし、営業不振により、その夢はあっという間に潰えてしまいます。姫路市営モノレールは昭和49年(1974)に運休し、昭和54年(1979)に正式に廃止となりました。実際に稼働していたのは、わずか8年でした。
その後、高架となっていた路線は段階的に撤去されていきましたが、撤去費用もかかることから、現在も各所でその痕跡を見ることが出来ます。写真は旧姫路駅と旧大将軍駅とのあいだに見られる遺構。富士ラーメン店の裏手にこのような巨大な橋脚が点々と並んでいますが、商店街と遺構との組み合わせ、どこかしらシュールに感じられませんか?
写真:乾口 達司
地図を見るご覧のように、レールがビルのなかに入っていくのが、おわかりいただけるでしょう。このビルこそ大将軍駅の遺構にほかなりません。大将軍駅は公団高尾アパートなどから構成される高層ビルの3階と4階部分を吹き抜けにして設置されており、同様の構造を持つ国内のモノレール駅としては北九州高速鉄道の小倉駅があるのみ。そこからも大将軍駅の構造がいかに画期的であったかがうかがえるでしょう。
しかし、駅としての寿命は短く、開業していたのは、わずか2年足らず。その理由としては姫路駅までの距離が短く、ホームでモノレールが来るのを待っているよりも歩いた方が早く姫路駅に到着することもしばしばであったことが挙げられる。以後、駅は使用されることなく残されていましたが、近年、とうとうビルの解体が決定。解体を前に2016年8月13日・14日の両日、実に48年ぶりに内部が一般公開されました。公開後は、準備が整い次第、解体作業に着手されるとのこと。旧大将軍駅の斬新な構造を眺められるのもいまのうち。興味のある方は、いますぐにでも姫路を訪れ、その姿をまぶたに焼き付けておいてください。
写真:乾口 達司
地図を見る高尾アパートからは、その西側を南北に流れる船場川沿いに歩いてみましょう。路線は船場川に沿うようにして旧手柄山駅までのびていました。写真はセブンイレブン姫路南畝町店の裏手に残る遺構。このあたりは橋脚だけでなく、その上に乗っていた橋桁までしっかり残されています。姫路市営モノレール跡を歩くときは、船場川沿いを南下していきましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は山陽色素株式会社の脇に残る遺構。ご覧のとおり、見上げるほど巨大な橋脚が道路を邪魔するようにして屹立しています。ここでは、ぜひ、真下から橋桁を見上げてみましょう。空に向けて突き刺さるように伸びているその雄姿に圧倒されること、間違いありません。
写真:乾口 達司
地図を見る終着駅に当たる旧手柄山駅は、現在の姫路市手柄山中央公園の敷地内に設置されていました。駅舎の場所は手柄山交流ステーションとなっており、館内には何と、当時、実際に稼働していたモノレールの実物などが展示されています。遺構だけでなく、モノレールの実物まで見られるとは、鉄道ファンにはうれしい限りですよね。
姫路駅の近くにかつてこのようなモノレールの遺構が存在したこと、おわかりいただけたでしょうか。遺構が現在も残されているとはいえ、旧大将軍駅(高尾アパート)のように、間もなく取り壊されるものもあり、見学するならお早めに!姫路市営モノレールの跡地をめぐり、当時の関係者が抱いた壮大な夢に思いを馳せてみてください。
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(2023/11/29更新)
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