岩国市街から錦帯橋を渡った先、城山の山頂には小さくも岩国城の天守閣が望め、かつての城下町の面影が色濃く残っています。周囲は吉川氏の家臣団が群居していた地区で、吉川氏の家老職であった香川家の長屋門などが残ります。
長屋門から城に向かってもう少々道なりに歩くと、同じく家臣であった目加田家の住宅があります。18世紀中頃の建築で入母屋造。目加田家住宅は中級の武家屋敷なのですが、中級武家の暮らしを伝える貴重な遺構として重要文化財に指定されています。
面白いのは瓦です。基本的には桟瓦葺きのようですが、どこか瓦の様子が変です。その理由は両袖瓦というもので、瓦の両端上部に耳の付いた瓦が平瓦と交互に並べて葺かれているからです。この地方ならではの葺き方で、正しくは「二平葺き」といいます。現在では、両袖瓦は製造されておらず、この屋根瓦の風景は減少の一途を辿っています。ぜひ、確かめてみましょう。
旧目加田家住宅の先、岩国城ロープウェイの山麓駅のそばに続いての見どころがあります。これが岩国美術館です。朝鮮陶器の薫りを残した深い味わいの萩焼、日本刀、刀の鍔、歌川広重らの書画、吉川家に伝わる書状の数々…、展示内容は実に多岐にわたります。
なかでも充実しているのは甲冑や兜の展示です。胴部分の板の数も様々あり、糸縅(いとおどし、糸を組んだ緒で上下を結び合わせるもの)にも様々な色があり、漆工芸や象嵌技法を用いて装飾が加えられるなどのことから、実に多種多様な甲冑が存在していたことが分かります。
兜も多く展示されています。様々なものがモチーフにされており、前立てだけでなく、兎を模した耳まで付いた兜もあります。こうしたユニークなものを「変わり兜」と呼ぶそうですが、それぞれに意味が込められており、これらに込められた意味も興味深いものがあります。
第7代岩国藩主・吉川経倫(つねとも)の隠居所として建てられた昌明館の遺構を門としている吉川史料館は、吉川家に伝わる史料の保存を目的に開館した建物です。
鎌倉時代に梶原景時を討ったとされる「為次太刀(ためつぐのたち)」や吉川元春が写本した「太平記」、関ヶ原での毛利方の人々の動向が詳細に記された「吉川広家自筆覚書案」など貴重なものが揃い、これら所蔵品からテーマを定めて30点程度を展示しています。
吉川史料館から錦帯橋に向かって歩いていくと、佐々木小次郎の像が立っています。佐々木小次郎の出自については不明な点が多いのですが、吉川英治の小説『宮本武蔵』ではその出身が岩国とされていることからこの地に建てられました。
戦国武将や郷土に大きな貢献をした財界人などがよく銅像にされますが、こうした権威を示そうとするような銅像とは雰囲気が異なり、親しみを覚える銅像です。凛とした顔つきで静かに構える姿に美しさを感じます。
最後は、やや離れます。錦帯橋から東へ約1.5キロ、錦帯橋とJR岩国駅の中間あたりに位置するJR西岩国駅です。岩国で気になる近代建築があります。それが西岩国駅駅舎です。
西岩国駅は昭和初期に「岩国駅」として建てられ、現在の岩国駅は地区名を取って「麻里布駅」と呼ばれていました。建築当初、観光客のほとんどがこちらの駅を利用していたそうです。ところが、麻里布地区の発展に伴い、「麻里布駅」は岩国駅と改称。このため、「岩国駅」は西岩国駅と改めることになりました。そして、人の流れも移っていったのです。
西岩国駅駅舎は洋風に建築され、ポーチや3連の窓などに錦帯橋を思わせるアーチの意匠が見られます。錦帯橋を目当てに訪れる観光客で賑わっていた当時を物語っているかのようです。駅舎の中もレトロな雰囲気が漂います。お帰りは、こちらの駅を利用するのも良いでしょう。
いかがだったでしょうか。岩国は錦帯橋や岩国城だけではありません。往時の武家屋敷街の面影を残す場所があり、貴重な歴史的史料にふれられる場所があり、近代建築から岩国の街の変化を感じられる場所が残っています。
紹介しきれませんでしたが、岩国に生息し、神の使いとも言われる白蛇を紹介する施設や、石造り風の不思議な建物の資料館・徴古館、明治期に建てられた洋風校舎の岩国学校などもあり、岩国寿司などの郷土料理にも事欠きません。じっくりと愉しんでみることをおすすめします。
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(2024/12/14更新)
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