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写真:乾口 達司
地図を見る十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)は、近鉄大阪線と平行して走る旧初瀬街道沿いに鎮座しています。出雲地区の中央に鎮座する旧指定村社であり、その珍しい社名は、神世七代の神々と地神五代の神、計十二柱の神々をまつっていることに由来します。
では、この十二柱神社がどのようないわれで力士とかかわりがあるのでしょうか。それは当地・出雲地区が、古代、はじめての天覧試合で相撲をとったとされる力士・野見宿禰(のみのすくね)を祖としていることにちなみます。『日本書紀』によると、天覧試合がとりおこなわれたのは、垂仁天皇の時代。野見宿禰は天皇の前で当麻蹴速(たいまのけはや)と対戦し、勝利しました。つまり、ここ、十二柱神社は、実際に取り組みのおこなわれたと伝わる同市穴師の相撲神社とともに、我が国の相撲発祥の地でもあるわけです。十二柱神社が、我が国の国技である相撲の歴史と深いかかわりを持っていたこと、ご存知でしたか?
写真:乾口 達司
地図を見るでは、狛犬を支える力士たちをご紹介しましょう。ご覧のように、狛犬の乗る台座を力士たちが四方から支えているのが、おわかりいただけるでしょう。狛犬は参道の両脇に1匹ずつ鎮座しているので、狛犬を支える力士たちの数も8人!良く見ると、両手を膝にかけて踏ん張っているもののほか、両手で台座を持ち上げるようにしているものもいます。力士たちの造形の違いをじっくり観察してみましょう。
写真:乾口 達司
地図を見るしかし、珍しいのは、何も力士像だけではありません。写真は鳥居の近くに立つ石造五輪塔。鎌倉時代初期の作と考えられており、その高さは2メートル85センチメートル。県内第2位の規模を誇ります。もとは十二柱神社から300メートルほど南方にあった野見宿禰塚の上に置かれており、明治16年、農地整理のために塚が消滅したのを契機に、十二柱神社の境内に移されて来ました。
なかでも、貴重なのは、台座部分に当たる地輪に一字一石経が納められていたこと。一字一石経とは、その名のとおり、石にお経が記されたもので、五輪塔の内部におさめられているのは全国的にも珍しい事例です。ここからも十二柱神社ならではの特徴がうかがえますね。
写真:乾口 達司
地図を見る十二柱神社ならではのもう一つの歴史は、当社が武烈天皇(ぶれつてんのう)の「泊瀬列城宮」(はつせのなみきのみや)があったとされる伝承が残されていること。
武烈天皇は第25代の天皇。仁賢天皇と春日大娘皇女とのあいだに生まれました。『日本書紀』によると、裁判の公平性を確保するなどの善政をおこなう一方、妊婦の腹を割いて胎内を観察したり、爪を抜いて芋を掘らせたり、樹に上らせた人を弓で射って墜としたりと、残虐な所業を繰り返したとされています。これは子のなかった武烈天皇を悪逆非道な暴君に仕立てることにより、応神天皇や仁徳天皇に代表される河内中心の王権が断絶し、北陸からやって来た継体天皇によって新しい王権が打ち立てられたことを暗に指し示しているとする学説もあり、武烈天皇自身の実在性もあやしまれていますが、そんな暴君の宮が十二柱神社に置かれていたとは、興味深いですね。
写真:乾口 達司
地図を見る本殿の脇には、武烈天皇をまつった武烈天皇社も残されています。ご覧のように、小さな社ですが、注目していただきたいのは、社にまつられている木製の狛犬。ユーモラスでかわいい狛犬だと思いませんは?こちらは別に力士たちに支えられているわけではありませんが、必見です。
十二柱神社の歴史と文化財としての意外な魅力、おわかりいただけたでしょうか。近鉄大阪線の沿線にあり、電車を利用してもアクセスは快適。あまり知られていない十二柱神社を訪れ、相撲の歴史や古代天皇の事跡にも思いを馳せてみてください。
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