写真:澁澤 りべか
地図を見る1265年フィレンツェで生まれたダンテは、政争に巻きこまれイタリア中を転々とし、1316年に北イタリアのラヴェンナに落ち着きました。そしてここで、あの「神曲」を書き上げたのです。世界遺産都市ラヴェンナと言えば、黄金のモザイクで飾られたビザンツ様式の教会群が有名ですが、実はダンテが放浪の果てに選んだ終の棲家でもあったのです。
「神曲」は地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部からなり、ダンテ自身が古代の詩人ウェルギリウスや永遠の女性ベアトリーチェに導かれて三つの世界を旅する幻想的な叙事詩です。
「ダヴィンチ・コード」「天使と悪魔」に続き、まもなく映画が公開されるダン・ブラウン原作のラングドン教授シリーズ第3弾「インフェルノ」。この作品では、ダンテが「神曲・地獄篇」の中で描写した地獄(インフェルノ)の様子を、ボッティチェリが絵画に表したものが最初の手掛かりとなります。そして次の手掛かりとなるのが、ダンテ自身のデスマスクです。
写真:澁澤 りべか
地図を見る長期にわたる改修工事を終え、2013年3月にラヴェンナのダンテ博物館(Museo Dantesco)がリニューアルオープンしました。
この博物館はダンテの没後600年を記念してそのゆかりの品々を保存・展示するために1921年に開館しました。展示内容は3つのテーマに分かれており、ダンテの胸像や肖像画を特集した最初の展示室でダンテのデスマスク3種を見ることができます。
残念ながら小説「インフェルノ」のようにその裏を見ることはできませんが、詩聖ダンテの顔だちを目の当たりにすることができます。
写真:澁澤 りべか
地図を見るダンテ博物館のすぐわきに、ダンテのお墓(Tomba di Dante)があります。ダンテは1321年ヴェネツィア訪問中に得た病がもとでその年の9月に亡くなり、葬儀はラヴェンナのサン・フランチェスコ教会で執り行われました。
現在見られるダンテ廟は1780年に建造されたもの。ちょうどダンテ博物館とサン・フランチェスコ教会の敷地に挟まれるような位置にあり、小さなドームをいただくこじんまりとした建物です。あまり目立たないので注意しないと通り過ぎてしまいます。
中をのぞくと正面奥にはダンテの横顔のレリーフがあり、中に吊るされているランプには年中消えることのない「永遠の火」が灯されています。その油は毎年ダンテの命日に、故郷フィレンツェから贈られています。
ちなみに廟のそばにあるツタで覆われた塚のようなものは、第二次大戦中にダンテの石棺を避難させていたものです。
写真:澁澤 りべか
地図を見るダンテの葬儀が行われたサン・フランチェスコ教会にもぜひ足を運んでみてください。ちょっと面白いものが見られますよ。
教会内部の祭壇の前に洞窟のような真っ暗な空間があり、手元の装置に50セントコインを入れるとライトがつきます。するとそこに小魚が泳ぐ水たまりが現われ、床には古代ローマ時代の大理石モザイクが!
さすがモザイクの聖地ラヴェンナ。こんなところにまでモザイク!
ラヴェンナの魅力は世界遺産になっているモザイク芸術だけではないことがお分かりいただけましたか?
ダン・ブラウンの小説「インフェルノ」を読んだ人はもちろん、これから映画をご覧になる方も、ぜひラヴェンナでダンテのデスマスクを目撃してください。
今回ご紹介した見どころは狭い範囲に集中していますので、短時間ですべて見ることができます。イタリア・ルネサンスの先駆けともいえる大詩人ダンテゆかりの地めぐりをどうぞ楽しんでくださいね。
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(2024/4/19更新)
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