「高野山」の、現世と仏界との間を流れる河にかかった一の橋から奥の院までの約2kmの、古木が立ち並ぶ杉木立には、およそ2万基以上におよぶ戦国時代、江戸時代の諸大名達の墓石、祈念碑、慰霊碑が建ちならんでおります。
歴史的に有名な関ケ原の合戦で、西方の実質的な大将として悲劇の最期を遂げた、石田治部少輔三成の碑や忠臣蔵の浅野内匠頭、数奇な運命をたどった千姫の碑なども幽玄の中に見受けられます。
また途中には、井戸を覗きこむと覗いた人の心が見通されるといわれている姿見の井戸がありますので、心にやましいところがない人は覗いてみてください。
弘法大師はお参りに来る方を一の橋までお迎えに見えられ、帰る方をこの橋までお送りくださるといわれています。
「大塔」は根本大塔とも呼ばれ、高野山の中核ともいわれるたくさんの寺院が集約した壇上伽藍にあり、金堂、不動堂など19の堂塔とともに並んでいるのです。
西暦816年から887年にかけ、空海、真然大徳の2代にわたって真言密教の根本道場として建立されたもので、堂内そのものが立体の曼荼羅として構成されております。
内部拝観は有料ですが、各柱には大日如来像をはじめとする多くの菩薩像が描かれており、観る者を仏の世界へと導いてくれます。
鮮やかな朱色の「大塔」は見上げるほど大きなもので、地表にはお大師様が空中に投げ上げた、密教法具の三鈷杵(さんこしょう)が落ちたところに根を生やしたとされる三顧松の葉が落ちています。この松葉は3葉になっておりこれを持ち帰ると災厄を逃れるという珍しいものです。
高野山金剛峰寺は、お大師様が、「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経/こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう」というお経から名付けられたといわれ、その大きさは東西約60m、南北は約70mの主殿をはじめとしてさまざまな建物を備えた優雅さを持っており、その境内の総坪数は約48,300坪にもおよぶ広大なものです。
この金剛峰寺を本堂と勘違いする方も見受けられますが、元々「高野山金剛峰寺」というのは高野山全体を指しているのです。高野山の総本堂は大伽藍がそびえる金堂で、高野山の重要行事はそのほとんどをこの金堂で執り行うのです。
高野山には現在117ヶ寺が存在しておりますが、そのうち50寺以上の寺院は、訪れる人々が宿泊できる宿坊となっております。
ここで、宿坊にお泊まりくださる方にそっとお教えします。寺院ではかつては飲酒はご法度でした。そこで酒を「般若湯/はんにゃとう」と言って内証で飲んでおりました。では宿坊で現代のビールを頼むときはなんと言うのでしょうか? その時は「麦般若」と言ってください。これがビールの事だそうです。
今まで大門(総門)の事には触れていませんが、この大門は多くの伽藍から離れたところにあります。ここからの景色は素晴らしく曲がりくねった道を上ってきた甲斐があるというものです。この大門から中が高野山です。左右の金剛力士像が訪ねる人々を圧倒します。
かつては女人禁制で大門から中には、たとえ開祖の弘法大師の母親でも入れなかったそうで、訪ねてきた母親のために弘法大師は麓に庵を建て、毎晩母親の住む麓までお母さんに会いに行ったと伝えられています。その様にして苦しい修行を続け自身佛となって今でも奥の院に住まわれているのです。
あなたもぜひ高野山を訪ねられて、2kmの杉木立の中に歴史上の人物の碑を探してみてはどうでしょう。
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(2025/2/11更新)
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