絶景パワースポット!福岡「高良大社」は藩主も深く信仰した“九州総社”

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絶景パワースポット!福岡「高良大社」は藩主も深く信仰した“九州総社”

絶景パワースポット!福岡「高良大社」は藩主も深く信仰した“九州総社”

更新日:2016/09/19 19:29

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ アマチュア写真家

平安時代には九州総社と記され、また筑後一の宮となっている久留米市の高良大社。神話時代からの古社が多い九州においてなぜここが総社と称されたのかは、ここへ来ればわかります。古い歴史だけでなく眺望の素晴らしい霊峰に建つ神社!藩主が九州最大の社殿を寄進したのも納得です。

熊野古道を思わせるたたずまいの道が今も残り、北部九州の遠望抜群のパワースポットへ。しかも平成29年秋までの特典もご紹介します!

深い樹林の中には、歴史を重ねた古道が今も

深い樹林の中には、歴史を重ねた古道が今も

写真:万葉 りえ

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高良大社が建つのは、高良山の山上近く。地元の人にとっては高良山=高良大社で、山全体が神域として大切にされています。1600年以上の歴史を持つ高良大社。しかし、それは古墳時代に社殿ができてからの年数であって、朝鮮半島へ出兵する神功皇后がこの山に滞在したなど弥生時代からの言い伝えも残った山なのです。

二千年近い時を人々が踏みしめていた山道は、今も歩いて登る方が絶えません。鳥居がある麓には古色をおびた石段が待ち、まるで熊野古道を歩いているような深い樹林をぬう道が山頂まで続きます。
もちろん、歩いてではなく車で上がることもできますからご安心を。

古代からのパワースポットに建つ高良大社

古代からのパワースポットに建つ高良大社

写真:万葉 りえ

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平地から見ると屏風のように切り立って見えることから屏風山とも呼ばれる耳納(みのう)連山。高良大社がある高良山があるのは、その東西30キロにも及ぶ耳納連山の一番西の端になります。

山上から眺めれば、北側は福岡平野へとつながり、その向こうには日本海。そして南側に目をやれば筑後平野が開け、その先は有明海へと至ります。まるで海に浮かぶ岬のように平地の中にそびえたつ高良山。霊峰と称されるのは標高が高い山だけに限りません。この山は人々からそう呼ばれるのにふさわしい威厳を持った山なのです。

また、耳納連山に残る古墳はわかっているだけでもなんと数千基。古代から人々がこの山を特別なものとみてきたことがうかがえます。現代人より感覚が研ぎ澄まされていた古(いにしえ)の時代の人々のほうが、ここがパワースポットであることを分かっていたのかもしれませんね。

眺望抜群の展望台

眺望抜群の展望台

写真:万葉 りえ

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写真は、高良山から南西側の方向を見た風景です。

右側の奥に雲がかかって見えているのは、佐賀県の背振山地になります。その手前にあるのは弥生時代の大集落の跡として有名な吉野ヶ里遺跡。この吉野ヶ里遺跡は紀元前後にかけて、約600年もの間人々が暮らしてきた跡。当時は同じような集落がここからいくつも見えたことでしょう。

眺めの良さから、この神社には展望台も用意されています。普通のレンズでは写真に入りきれないほどぐるっと広がる眺めを、展望台でぜひ体験してください。

大修理中ですが…だからこそ!

大修理中ですが…だからこそ!

写真:万葉 りえ

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本殿は神社建築としては九州最大の規模を誇る高良大社。寄進したのは久留米藩・有馬家の三代目藩主です。九州には五十万石を超える大大名が黒田家をはじめとしてあるのですが、有馬家の石高は二十一万石。しかも有馬家は経済的に困窮していて、江戸時代初期は城普請さえ滞っていたというのです。それなのに、なぜこんな立派な社殿を寄進するほど藩主が深く信仰したのか。

久留米城下は九州の縦断と横断道路が交わる要所です。江戸時代の初め頃は見晴らしのよさも軍事上のポイントとなったでしょう。
しかし、難題が満載している藩にとって何よりも大事だったのは、高良大社の神様が持つパワーだったのではないでしょうか。そのおかげなのか、有馬家は江戸時代を通してずっと久留米藩主としてすごし明治維新を迎えたのです。

その社殿が、平成29年秋まで平成の大修理となっています。それまで本殿を望むことができませんが、だからこその特典があります。
通常なら本殿などの奥深くにおさめられているはずの「神様の依代(よりしろ)」とされる鏡を、こんなに近くで拝することができるのです。それも、拝殿の前に立って祈る自分の姿が、ご神体ともいわれる鏡に映るという近さで!

七代目藩主は、数学「和算」の大御所

七代目藩主は、数学「和算」の大御所

写真:万葉 りえ

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高良大社の資料館の壁には算額(さんがく)の複製が飾られています。
知っていました?江戸時代に「和算」という日本独自の数学が流行っていたということを。それも、身分の高い人だけでなく、商人や農民も趣味として和算を学んでいたというのです。しかも、この和算、かなり高度なレベルで、一例をあげれば、西洋で円周率が出される前にすでに計算されていたというのです。

有馬家の七代目の藩主は和算界のスーパースター関孝和(たかかず)の門下で学び、四十冊以上の研究書や指導書を出しているという学者殿様です。日本の数学研究の水準を上げた功績も素晴らしく、当時の「風流三大名」として知られていたほど。しかし、藩主として藩の運営に関しては・・・。
藩の運営は計算通りにはいかなかったようですが、そんな藩主の国ですから和算に励む人も少なくなかったことでしょう。

個性派藩主をも見守ってきたパワースポット・高良大社

歴代藩主の中には賢君と言われた人物もいたのですが、参勤交代に巨犬を曳いて目立たせたという派手好きの六代目、江戸で化け猫騒動を起こした八代目、趣味が高じて藩の金庫をカラにした九代目…というように、和算の学者だった七代目藩主以外にも久留米藩・有馬家ではなぜか個性的な藩主が続いたのでした。それなのにおとりつぶしに合わず江戸時代を乗り切ったという不思議さ!

ちなみに、競馬で有名な有馬記念の「有馬」は15代目当主の功績から付けられており、16代目当主は直木賞作家です。

そんな歴代の藩主たちが国元にいるときにいつも仰ぎ見ていたのが、パワースポットである高良山の高良大社。現在は、夜景の美しさを楽しみに訪れる方も多い神社です。
九州総社ともいわれ霊峰に立つ神社に、その強力パワーをいただきに来ませんか。

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