広島県江田島市にある「創造の森森林公園」に、日露戦争が残した擬洋風建築風の遺跡が広がります。三高山砲台跡の中心になっている駐車場(旧兵舎)から、南に「南部砲台跡」、北に「旧軍兵舎跡」と「北部砲台跡」に分かれており、総面積は約6万坪(198,000平米)の西日本最大の砲台山です。
南部砲台跡の方に進むと、二連地下兵舎、その奥に火薬庫が見えてきます。二連地下兵舎の内部は漆喰塗りで夏場でもひんやりとしています。火薬庫の天井は木造で、それ以外は石積み構造になっています。火薬に引火した時、爆風が空に逃げる設計だったといえます。火薬庫の天井と窓は近年復元されたものです。
火薬庫より奥にあるレンガ造りの壁の向こうに、瀬戸内海を見渡すパノラマがあります。世界遺産の宮島もこの中に含まれています。
三高山砲台基地が基地として機能していた頃、日清戦争の勃発、これに伴う海外からの干渉など、海を隔てて日本を取り巻く状況は決して好ましいものではありませんでした。今も瀬戸内海を一望するこの風景から、海からの脅威を監視し続けていたのでしょう。
三高山砲台跡の北部である旧軍兵舎跡と北部砲台跡の方に進むと、明治時代に建てられた兵舎、砲座、弾薬庫、観測所がほぼそのままの状態で残っています。兵士たちはここで保存食を頼りに任務に就いていました。膝ほどの高さの小道が地下、地上、2階に分岐し、地下は兵舎と弾薬庫、地上は砲座、2階は観測所に続いています。
北部砲台跡の2階には右翼と左翼の観測所があります。もともとは銅製の屋根がついたドーム状の建物で、中央の台座に測遠機を設置し、砲撃対象の方角と距離を観測しました。即座に観測情報を共有できるよう、壁に伝言用の穴(伝言管)が数箇所あけられており、それぞれ各部門に通じています。現在でも伝言ゲームができるほど遺跡の保存状態は良好です。建物は自由に見学できるので、登頂記念にどことどこが通じているのか試してみてはいかがでしょうか。
基地にあった榴弾砲は、2門1組で置かれていました。木々に遮蔽された砲撃対象を正確に捉えるため、伝言管で連絡を取り合い、弾道の調節を行っていたことでしょう。かつては砲座の円形のくぼみに回転用の歯車、ターンテーブルの順に取り付けられ、その上に砲台が乗っていました。現在でも砲座の底にターンテーブルを固定していたボルト跡が確認できます。壁側にあるくぼみは弾置き場で、1つの砲座につき、前面に4箇所、両側面に2箇所あります。人がしゃがんで入れるサイズです。またやや左と右の側壁にある穴は、隣の砲座と通信を行う伝言管です。
砲台は全部で榴弾砲が6門、連射砲が4門、臼砲が4門ありましたが、これらは日露戦争やその後の戦争で使われることなく大陸に渡っています。北部砲台跡より1キロ南にある「南部砲台跡」には臼砲と連射砲の砲座が残っています。北部砲台跡に立ち寄った際は、南部砲台跡も探してみてください。重厚な石造りの遺跡は大人も子どもも探検気分にさせるでしょう。
ロシアのバルチック艦隊に備えた砲台の建設は瀬戸内海全域で行われており、三高山砲台は那沙美瀬戸を防衛する砲台基地の1つです。宮島、江田島、呉、竹原には2つ以上の砲台跡が残っていることから、瀬戸内海一帯が重要な防衛拠点だったことを窺い知ることができます。三高山砲台跡は史跡として整備され、後に土木遺産として登録されました。ほぼ当時の姿を自由に見学できる希少な旧軍事施設です。
「明治時代の建物を見てみたい」、「軍事ものに興味がある」、「廃墟の雰囲気に浸りたい」と思ったら一見の価値ありです。
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(2025/2/11更新)
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