江戸時代末、日本に迫る諸外国の艦隊に備える必要があったため、大砲などを造る反射炉が相次いで建設されました。日本国内では、佐賀県・山口県・静岡県などに建造されましたが、静岡県の韮山にある反射炉だけが現在も、残っています。稼働した現存する反射炉はとても珍しく、貴重な遺産として国指定史跡・近代化産業遺産になっています。(入場は有料)
反射炉は当初、下田市に築造が決定されましたが、ペリー提督の米国艦隊の入港があり、軍事機密が洩れる恐れがあったため、現在の韮山に建設地を変更して建てられました。
反射炉は、鉄を溶かして大砲を鋳造する溶解炉で、韮山反射炉の高さは約16mあります。壁のレンガが特徴的ですが、反射炉が稼働していたときは、白色の漆喰で覆われていたんです。ちょっと、驚きですね!
鉄を溶かして大砲を鋳造するには、千数百度の高温が必要でした。単純に石炭などを燃やしただけでは温度が足りません。そこで、燃料を燃やして発生した熱や炎をドーム状の天井で反射させ、一点に集中することで温度を上げて鉄を溶かしていました。「熱を反射する」そのことから「反射炉」と名付けられました。
写真左側の「焚口」は、鉄を溶かすための原動力となる燃料の石炭を入れる口です。写真右側の「鋳口」は、溶かす鉄を入れる口で、最も温度が高かったところと言われています。この2つは、鋳造するのに最も大切な役割をしていた箇所なので、見ておきたいポイントですね! 反射炉の内部を直接見ることはできませんが、案内図があるので詳しく内部がわかります。
溶けた鉄は、ゆるやかな勾配になった出湯口から流れ出て、鋳型に流し込んで大砲などに加工されました。反射炉の近くには、製造された同じ形の大砲が展示されています。大きくて、驚きですよ!
ここで製造された大砲は、東京都品川にある江戸湾内海台場(お台場)などに運ばれました。重たい大砲を東京まで運んだ先人の苦労がうかがえますね。
日本に迫る諸外国の艦隊から日本を守る必要性があることから、江戸湾海防の実務責任者だった韮山代官「江川英龍(坦庵)」が中心となって、反射炉を計画しました。造られた大砲は、江戸湾内海台場(品川台場)などの砲台に設置することを目的にしていました。
建設の途中、江川英龍は死去しますが、息子の江川英敏が工事を引き継ぎ、安政4年(1857年)11月に韮山反射炉は完成しました。
反射炉の入口には、江川英龍の像が凛々しくあります。記念に一枚、いかがでしょうか?
韮山反射炉から、2.6km離れた所にある江川邸(有料)には、反射炉で使用されたレンガ、大砲の設計図などが展示されており、こちらも合わせて見ておきたいポイントの一つ。
江川邸は、反射炉を計画した江川英龍の邸宅で、敷地内には、関東地方の幕府領を支配するための韮山役所跡もあり、国の重要文化財にもなっているので、見ごたえがあります!
韮山反射炉は、伊豆箱根鉄道「伊豆長岡駅」から徒歩15分のところにあります。
韮山反射炉も含まれる「明治日本の産業革命遺産 九州・山口を関連地域」が平成25年9月17日に世界遺産国内推薦資産に決定されています。
日本の製鉄技術の発展段階を示す貴重な遺産としての価値があり、2015年の世界遺産登録へ向けて、大変注目されているスポットでもあります。
是非一度、訪れてみては、いかがでしょうか?
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(2024/4/20更新)
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