最北の古代城柵「秋田城」〜奈良・平安時代のオマジナイもここに!

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最北の古代城柵「秋田城」〜奈良・平安時代のオマジナイもここに!

最北の古代城柵「秋田城」〜奈良・平安時代のオマジナイもここに!

更新日:2016/09/14 12:04

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー

古代、最北の城柵が秋田県の「秋田城」です。多数の兵士や役人が常駐し、蝦夷や渤海との交易窓口でした。城跡からはこのような役目を窺わせる施設(水洗トイレ)や貴重な甲(よろい)などが出土しています。また当時の人々のオマジナイなどを知る事ができ、奈良・平安時代の生活の様子が生き生きと伝わってきます。古代歴史とともに人々の生活を体感してください。

秋田城〜最北の重要拠点

秋田城〜最北の重要拠点

写真:松縄 正彦

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秋田城(出羽柵)は奈良時代から平安時代、東北支配の重要拠点として宮城県の多賀城(MEMO欄の記事参照)とともに朝廷支配の象徴でした。ここに(出羽国)国府がおかれ、行政機能として税の徴収や戸籍作製などが行なわれ、また軍事機能として治安維持や有事の時のために軍隊が常駐し、武具も多数保管されていました。

さらに大陸にあった“渤海国”との交流がこの城を窓口に行なわれました。使節をもてなす客館を建て(外郭の外側に設けられています)、そこに“水洗トイレ”も作られました(MEMO欄のマップ参照)。奈良時代に水洗トイレを、しかも最北の城柵に作ったとは、特別待遇をしていた事になりますが、これは白村江の戦いの敵、「新羅」に対抗する意味があったと思われます。最北の城柵も国際政治と連動して活動していたのです。

写真は秋田城の東門と外郭の築地を復元したものです。城柵の中央には政庁があり、すぐ近くには川が流れ、日本海に容易にでられる構造になっています。海上交通に便利な事がこの城の役目をよく表しています。
現在、この城跡は史跡公園として整備されていますが、歴史資料館もあり、秋田城跡から出土した品々を見る事ができます。城跡をじっくりと見学し、資料館にも行ってみましょう。

日本で唯一出土した武具〜革製甲(よろい)

日本で唯一出土した武具〜革製甲(よろい)

写真:松縄 正彦

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資料館では城柵の復元パノラマや出土した瓦、また当時の政治情勢などが展示・説明され、往時の活動を生き生きと想像する事ができますが、他にも面白いものが展示されています。その主要なものを”人”に焦点をあてて御紹介しましょう。

兵士がいた事は既に紹介しましたが、まず兵士の甲(よろい)から紹介しましょう。
これは普通の甲ではなく、なんと胴回りの身体を守る小札(こざね)(小さな長方形の平板で、これを多数組み合わせて甲冑を構成)が“鉄製ではなく革製”とされているものです。
写真はその小札で復元した甲ですが、この甲が展示されているすぐ下の床に注目して下さい。“床がガラス張り”で、下の地面が見えるようになっています。地面に見えるのがこの小札を用いた甲冑の“実物”です。小札表面に漆が塗られていたために腐らずに残ったのですが、出土した地面をそのまま切り取り、ここで展示しているのです。

この非鉄製甲は平安時代の最新鋭品で9世紀前半の品物です。780年に革製の甲冑を作るように指示した記録が文献に見られるのですが、“全国で見つかっているのは秋田城だけ”なのです。革製の動きやすく“軽い”甲は兵士にはさぞありがたかった事でしょう。

役人の三種の神器と漆紙文書

役人の三種の神器と漆紙文書

写真:松縄 正彦

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ところでお城には多数の役人がいて事務作業をしていました。現代の事務作業ではパソコンがあれば十分ですが、当時の役人の三種の神器が展示されています。これは、“筆、硯と刀子(とうす、小刀の事)”です。墨で文字を書く筆と硯は分かりますが、刀子は何に使ったのでしょうか?実は当時、紙はまだ貴重品だったため木簡が通常使用されていました。
刀子は書いた“文字を削り取る”ため、つまり、木簡を再使用したり、文字を修正する時に、木を削る時に用いられたのです。

紙が貴重な品物だった事が分かりますが、このため紙は再使用されるのが普通でした。現代では再生紙として再度利用されていますが、奈良・平安時代には、漆液が乾燥して硬化しないように“ツボの蓋変わりにこの紙が用いられました。紙で空気を遮断”していたのです。この様に再利用された文書を“漆紙文書”と呼びます。
壺の形に漆で真っ黒くなっているため、通常は文書に何が書いてあるか分かりません。そこで活躍するのが赤外線です。ここでは、漆紙に赤外線を当て、何が書いてあるのかを実演するシステムが用意されています。写真のように真っ黒な物体に赤外線を当てる事で、文字が浮かび上がってきます。

しかし、黒い物体に文字が書いてあるのに良く気が付いたものだと感心しますが、この文書が最初に見つかったのは最近の事(1973年)です。最初は多賀城跡から出土した漆紙から見つかったのですが、ここ秋田城からも多数の文書が見つかっているのです。

壺に描かれた人面〜穢れを流す〜

壺に描かれた人面〜穢れを流す〜

写真:松縄 正彦

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ところでここで働いていた兵士・役人やその家族の人々はどんな生活をしていたのでしょうか?

それを知る事ができる出土品があります。写真の“人面墨書(じんめんぼくしょ)土器”です。
奈良・平安時代には病気やケガなど、悪い事は身体に溜まった“穢れ(けがれ)”のせいとされていました。この穢れを身体から出し、水に流す事で治るとされていたのです。この時に用いられたのが写真の人面墨書壺です。蓋をした壺に、病気でけがれた息を吹き込み、水に流したのです。髭を生やした顔がなんともいえませんが、この人面は“厄病神”を表すという説もあるようです。
水に流す事でお祓いする、別の世界が開ける、事が期待されたようですが、奈良・平安時代は陰陽師が活躍した時代です。この時代の人々の不安や期待、また祈りなどがこれらの壺から伺い知る事ができます。

この他にも、生まれた子供の成長を願った“胞衣壺”(胎盤とお金を一緒に収めていた)なども紹介されています。古代は幼児の死亡率が高かったのです。

井戸から出て来た絵〜悪霊対策〜

井戸から出て来た絵〜悪霊対策〜

写真:松縄 正彦

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さて次に写真を見て下さい。これは塼(セン)といわれるレンガ様のものに描かれた絵を書き写したものです。描かれていたのは、“龍”や“弓矢と“人”などといわれます。墨で塼に絵を描き、井戸の底に敷いていたのです。
これは井戸に悪霊が侵入しないように、また清い水が湧くように願ったものだといわれます。

体の中のけがれた物を水に流すのが人面墨書壺でしたが、水に流した悪霊等が大事な井戸に侵入しないように、当時はこんなオマジナイがされていたのです。現代でも井戸を壊す時にはきちんとお祓いをする習慣がありますが、水の神様である龍を祀り、弓矢で悪霊を防いだとは、古代から井戸が大事にされていた事が良く分かります。改めて、昔の習慣が現代に受け継がれているのを実感します。

素朴な人々の生活がわかる

最北の秋田城は朝廷権力の象徴でした。また厳しい国際情勢とも無縁ではなかったのですが、暮らしていた人々は意外に素朴で、信心深かったようです。
こんな当時の人々の生活の様子が、生き生きと伝わってくるのがここの魅力です。歴史書でしか知る事ができない奈良・平安時代の世界、さあじっくりと体感してください。

なお、東門と政庁跡の間に駐車場があります。ここに公園の管理棟があり、ガイドも常駐しています。ガイド付きで城跡を見学(無料)する事も可能です。


掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/14 訪問

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