落柿舎は、嵐山渡月橋のたもとから、嵯峨野エリアを散策しながら北西方向に徒歩30分ほどで行くことができます。その散策道にはルートがいろいろあります。まず、嵐山の土産物店がならぶ道をまっすぐ北に向かい、JR山陰線の踏切を越えて、交差点を左に曲がって、しばらく西に進む道。
次は、渡月橋から大堰川沿いに西方向に歩いて、亀山公園を通り、トロッコ嵐山駅前から常寂光寺の門を右に曲がる道。そして最後が、嵐山の土産物店の並ぶ道の途中から野宮神社に向かい、天龍寺北門、嵯峨野の竹林を通って、トロッコ嵐山駅前から常寂光寺の門を右に曲がる道です。
どの道を通っても、嵯峨野の風景を楽しむことができます。落柿舎の近くには、常寂光寺、二尊院、祇王寺、嵯峨清涼寺、直指庵などの新緑、桜、紅葉の名所があり、シーズンには大勢の観光客が押し寄せる地域です。
落柿舎は、芭蕉の最も信頼した高弟の元禄の俳人・向井去来の草庵だった場所で、10月初旬ころから柿が実り始めます。
落柿舎の名前の由来は「庭に成っていた柿の木約四十本の柿を売る約束をして、お金を受け取っていた日の夜に、その柿が強風のため全て落ちてしまい、翌日返金に応じ、以来、去来は自ら「落柿舎」の去来と称するようになった」ことからです。
庵の庭に句碑が多く建立されていて、今でも、俳句をたしなむ人が「句会席」としてこの庵を利用しています。
大覚寺は、嵐山渡月橋の北約2Km、落柿舎の北東約1Kmの場所にあります。
大覚寺の前身「嵯峨離宮」は、延暦13年(794)平安京遷都の20年後に即位した嵯峨天皇がこの葛野の地をこよなく愛し、后との新居として建立したことに始まります。その後空海が、離宮内に五大明王を安置する堂(五大堂)を建て、修法を行ったのが起源とされ、嵯峨天皇が崩御してから30数年後の貞観18年(876年)、淳和天皇皇后が離宮を寺に改め、大覚寺となりました。
大覚寺の境内の東側に位置する大沢の池は、周囲約1Kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)で、中国の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれます、春の桜、初夏の新緑、初秋の名月鑑賞、秋の紅葉が美しい池です。
10月の初旬ころから、大沢の池周辺の木々の紅葉が始まります。
日本三大名月鑑賞池のうち2つの池、大覚寺大沢の池、広沢の池は隣接していて、大覚寺の東約1Km足らずの場所に広沢の池があります(三大名月鑑賞池の残り一つは奈良の猿沢の池です)。広沢の池は、市内の金閣寺、龍安寺、仁和寺を結ぶきぬかけの路を、そのまままっすぐ道沿いに西方向に進んだ場所に位置します。
池の東端に立つと、池越しに愛宕山が見えます。この場所は、8月16日の五山送り火の日に、鳥居型を池越しに眺めることのできる絶好のポイントにもなっていて、20時ころには点火を待つ大勢の観光客で混雑します。
10月の初旬頃は、キバナコスモスが池端に咲きます。
嵯峨野の風景といえば、ここ渡月橋は外せません。修学旅行で訪れた人も多いでしょうが、そのときの印象と全く変わらない風景がいつもここにはあります。錦秋の秋には真っ赤に染まるかえで、もみじ、さくらなど沢山の木々が、川の両岸だけでなく、渡月橋から眺める雄大な山々に見渡すことができます。
その木々の紅葉が10月初旬からそろそろ始まりだします。
嵯峨野の「小さい秋」は、嵯峨野エリアのいたるところで見つけることができますが、稲刈りが終わる9月下旬から10月の初旬にかけて、嵯峨野の北に位置する田園地帯のあぜ道沿いに、コスモス、紅い彼岸花(曼珠沙華)が咲きほこります。
嵐山渡月橋から、「小さな秋」を探しながら、のんびり散歩して、嵯峨野のたんぼの初秋風景を満喫してみませんか?
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索