黄金のパワースポット!福岡・宮地嶽神社 その輝きの伝説に迫る

黄金のパワースポット!福岡・宮地嶽神社 その輝きの伝説に迫る

更新日:2016/11/19 20:02

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ レトロ建築探訪家、地域の魅力伝え人
JAL&嵐のCMで一躍全国に知られるようになった福岡の宮地嶽神社。しかし、ここの歴史はかなり古く、古代日本の歴史の中でも大変貴重な存在なのです。黄金の品々がいくつも出土しており、それは国宝に認定されるほどの素晴らしさ。
古来より崇高かつ裕福な神がまつられ、本殿では黄金色の屋根が輝きを放ちます。では、九州北部王朝の聖地として伝えられ、地下の正倉院ともいわれる黄金のパワースポットをご紹介しましょう。

憧れの文化の国につながる、「光の道」

憧れの文化の国につながる、「光の道」

写真:万葉 りえ

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ガイドブックなどで説明されているのをご覧になった方もあるではないでしょうか。宮地嶽神社には日本一が三つもあるのです。それは、大注連縄に、大鈴、そして国産の材料で作られている大太鼓です。三つも日本一を持っているというだけでも稀有(けう)な存在なのですが、この神社の魅力はそれだけではありません。ここは、もっともっと前の時代からの輝く歴史を持ったパワースポットなのです。

神社から海へとまっすぐに続く参道。そこでは、10月と2月のわずかの期間だけその真正面に太陽が沈むのです。それが、あの「光の道」。ですから、この期間になると神社はその様子を写真におさめようとするカメラマンでいっぱい。そのような写真を見ていただくと、太陽の輝きの下で真っ正面にかすかに島影が浮かんで見えます。それが相島(あいのしま)です。

相島は古代から日本と中国や朝鮮半島とをつないできたルートの重要な土地。この参道は相島に向かってつながっている参道ともいえるのです。

古代、宗像氏が治めていた「神郡」

古代、宗像氏が治めていた「神郡」

写真:万葉 りえ

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宮地嶽神社から数キロのところには、宗像(むなかた)大社が建っています。

宗像大社は海の安全を祈って三女神を祀っているのですが、その三人の神のうちの一人が沖にある東西約1キロほどの小さな島に祀られています。沖と言っても、そこは朝鮮半島方向に福岡から70キロ以上も離れた玄界灘の孤島です。島の名前は「沖ノ島」。この小さな島で古代から祭祀が連綿と続けられており、たくさんの出土品が確認されています。その数なんと十数万点。しかもそのすべてが、国宝や重要文化財になっているのです。

古墳時代には祈りにかかせなかった鏡をはじめ、金の指輪など、現在でも輝きを放つものばかり。ですから沖の島は「海の正倉院」とも言われているのです。

この宗像大社から写真でご覧いただいている宮地嶽神社がある一帯は古代の地名では「宗像郡」に相当し、筑前十五郡の中で「神郡」に位置づけされていたといいます。近畿地方と博多をつなぐというだけでなく、中国や朝鮮半島ともつながる重要なこの地を支配していたのが、有力豪族の宗像(胸形)氏でした。

黄金が眠っていたパワースポット、宮地嶽神社

黄金が眠っていたパワースポット、宮地嶽神社

写真:万葉 りえ

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宗像大社のあるあたりから宮地嶽神社にかけては、現在の国道沿いに古墳が残されています。それも、ぽつぽつあるというものではなく、「古墳群」と呼ばれるほどの量。

そんな日本でも最先端の文化が花開いていたこの地で、5世紀から前方後円墳が作られだします。特に大きなものは全長が97メートルというビッグサイズ!畿内の大和朝廷にも負けないものなのです。これらの前方後円墳は他の古墳とは石室構造も異なっており、副葬品も農具や漁具ではなく、鏡などの金銅製品や武器、馬具などが中心。永き眠りについていたのは、強力な力を持っていた宗像(胸形)氏の首長らといわれています。

このように素晴らしい埋葬品を持った宗像氏の墓の最後を飾るのが、宮地嶽神社にある宮地嶽古墳です。ここから出土したのは、金銅透彫冠や金銅鞍金具など今でも金色の煌めきが素晴らしい一級の装飾品ばかり。もちろん国宝に指定!現在この石室には不動尊が祀られており、地図では不動神社と表示されます。

巨大石室にあった、黄金の光を放つ「地下の正倉院」!

巨大石室にあった、黄金の光を放つ「地下の正倉院」!

写真:万葉 りえ

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不動神社では建物内に入れるようになっており、手前のほうから石室の様子をご覧いただけます。巨大な石は、あの相島から切り出され、海を渡って運ばれたもの。石の大きさからも古代の王の力を実感していただけるはずです。

この宮地嶽古墳に眠っていた人物の最有力候補は、胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)という王。しかし、名前を聞いてもピンときませんよね。この方、天武天皇の妃で、高市皇子の母である尼子娘(あまこのいらつめ)の父。ざっくり説明すれば、天武天皇の義父になるのです。

古墳の内部は全長23メートルという巨大な横穴式石室で、それは奈良の石舞台古墳などと並ぶ日本でも有数の大きさ。しかも国宝に指定されるほどの埋蔵品のうちの一つ、金銅製の鐙(あぶみ)は奈良の正倉院以外ではほとんど残されていません。そして、金の装飾を施された太刀の長さは、なんと3.2メートルという特大サイズ。

このパワースポットは、日本の歴史上他にはない、金の冠をいただき、金の装身具で身を飾り、金色の馬具で馬を駆け巡らせた、まさに黄金の王の聖地なのです!
ここが「地下の正倉院」と言われるのも納得ですよね。

黄金の王の聖地 宮地嶽神社

北部九州で巨大な力を持っていた宗像(胸形)氏。ここは、間違いなく日本の黄金の歴史を作ってきたその王朝の聖地。その王にふさわしく、宮地嶽神社の本殿の屋根も黄金色の輝きを放ちます。

黄金の屋根をいただく本殿で参拝した後は、ぜひとも不動神社となった石室もある奥の宮をまわりましょう。ここは全部で八社ありますが、一つ一つお参りすれば望みがかなえられると言われているのです。

宮地嶽神社の魅力は「光の道」だけではありません。ここは古い時代からの黄金の歴史を持つパワースポット。
さあ、今度はあなたも・・・。

掲載内容は執筆時点のものです。

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