信長の子孫が群馬県甘楽町に!織田宗家所縁のスポット5選

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信長の子孫が群馬県甘楽町に!織田宗家所縁のスポット5選

信長の子孫が群馬県甘楽町に!織田宗家所縁のスポット5選

更新日:2016/11/06 21:05

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 武蔵国ナビゲーター、歴史探索ブロガー

戦国時代のスーパースター織田信長。本能寺の変で長男信忠と共に討たれ、信長の孫秀信の死をもって織田家は滅亡したかのように思われますが、昨今、フィギュアの織田信成氏の登場で、俄然信長の子孫がクローズアップされています。その中で信長に一番近い次男信雄のDNAが、信長には縁遠い関東の群馬県にあったのです。
絹遺産やコンニャクで名高い群馬県甘楽町に残る驚きの信長所縁のスポットをご紹介いたします。

織田家の歴史を知る「歴史民俗資料館」

織田家の歴史を知る「歴史民俗資料館」

写真:Naoyuki 金井

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秀吉の小田原征伐後の1615年、織田信長の次男・信雄には大和宇陀藩と上野甘楽郡が与えられました。信雄は大和に入り、上野甘楽郡は信雄の四男で信長の孫にあたる織田信良に任せ小幡藩を立藩させたのです。信長の孫という経緯から特別に国主格の待遇が与えられ、第二代藩主で信良の次男・信昌の時代には藩政の基礎が固められました。

そのかつての小幡藩陣屋大手門の位置に、建物自体が近代化産業遺産に認定されている「歴史民俗資料館」があります。ここは富岡製糸場他が世界遺産となったことから《ぐんま絹遺産》の展示が中心となっていますが、その他に小幡地区の歴史を知る町指定重要文化財《織田氏家臣録》を始め織田家に関連する展示が数多くあります。
小幡の地と織田家の歴史を知るには外せないスポットです。

織田家のDNAを知る「楽山園」

織田家のDNAを知る「楽山園」

写真:Naoyuki 金井

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小幡藩立藩にあたり信雄は藩邸に付属する庭園の築庭を命じました。造られた庭園は池泉回遊式の借景庭園で、"戦国武将庭園"から"大名庭園"に移行する過渡期の庭園として京都桂離宮と同じ特色があります。特に山並を借景として取り込んだ広がりある空間構成は、庭園美の極みと云われています。

「楽山園」という名前の由来は、「知者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山ヲ楽シム」という論語の故事で、戦国時代の悲劇を目の当たりにした信雄ゆえに、世の中の平和と領民の安堵を願う気持ちが込められているのです。また、園内には、《梅の茶屋》や全国的にも珍しい五角形の形状をした《腰掛茶屋》など複数の茶屋を配しているのは、まさにお茶好きの信長のDNAの表れと云えるでしょう。
現在は国指定名勝として多くの方が訪れています。

織田家の街造りを知る「雄川堰」

織田家の街造りを知る「雄川堰」

写真:Naoyuki 金井

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第二代藩主の信昌が小幡藩陣屋を造った際、同時に整備させたのが灌漑施設「雄川堰」。約20kmの雄川堰(大堰)は下流の水田地区を潤し、大堰から分水した約5.1kmの雄川堰(小堰)は、陣屋地区を網目状に張り巡らせた用水路で、武家屋敷の庭園や家臣の家々の生活用水となりました。

歴史民俗資料館の近くにある雄川堰は、堰沿いに甘楽名木10選に認定された56本の桜並木が植えられた城下町小幡のシンボルです。そして現在、雄川堰は日本名水百選、水の郷百選、疏水百選、更には国際かんがい排水委員会が登録・表彰する「かんがい施設遺産」にも選定されました。春の桜の開花と共に行われる城下町小幡さくら祭りは見事で、織田家の偉業と城下町の趣を感じるスポットです。

織田家の信仰を知る「小幡八幡神社」

織田家の信仰を知る「小幡八幡神社」

写真:Naoyuki 金井

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小幡陣屋と共に造られた雄川堰の他にもう一つ造られたのが「小幡八幡神社」。第二代藩主信昌は、織田家の守護神として、更に小幡陣屋の鬼門封じとして高田村(現妙義町)から本殿と共に遷座しました。境内の小高い場所にある拝殿までは凛とした空気が、織田家の歴史を物語っているかのようです。

拝殿の天井は格天井となっており、描かれた龍と三十六歌仙の肖像画は町指定重要文化財です(公開は日曜日だけ)。例大祭には、屋台や神楽が町内を練り歩き、京都や飛騨高山のような華麗さはありませんが、素朴な味わいがあると評判のお祭りです。
凛とした空気の中で織田家の想いが偲ばれるスポットです。

織田家の家系を知る「織田宗家七代の墓」

織田家の家系を知る「織田宗家七代の墓」

写真:Naoyuki 金井

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こうして出来上がった小幡藩は、織田家七代に亘って続きました。二代藩主信昌により藩政が固められましたが、五代藩主信右時代に藩財政が赤字となり、七代藩主信邦の時に幕府による尊王論者弾圧事件に連座して蟄居され、弟の信浮が家督を相続し出羽高畠藩に移されました。これにより織田家の小幡藩藩主は実質七代で終わり、松平家が藩主を継いだのです。

こうした歴史を物語るのが「織田家七代の墓」です。この墓は織田家の墓所ですので、ここには信長の次男信雄を初代として、信良、信昌、信久、信就、信右、信富の七代が葬られています。菩提寺は崇福寺で、境内には二代信良と七代信富を除く十代信美までと、四代小幡藩主信久の実父高長に位牌が祀られた「織田氏位牌堂」もあります。
織田宗家の脈々たる家系を辿るスポットです。

世界遺産富岡製糸場からも近い信長所縁の甘楽町

織田家では2系統4家が大名として江戸時代を生き残ります。
信長の次男信雄系は、四男・信良の系統が上野小幡藩、後に出羽高畠藩・天童藩の大名となり、五男・高長の系統が大和宇陀松山藩、後に丹波柏原藩の大名となります。そして信長の弟・有楽斎系では柳本藩と芝村藩があり、明治維新後この4家は子爵に列しました。

その後、信良系は16代まで続きましたが、フィギュアスケーター織田信成氏登場以来、何かとクローズアップされている第18代織田家当主の織田信孝氏は、高長系で現在の織田宗家の末裔となっています。因みに織田信成氏は信長の七男信高の系統だと云われていますが、それを指し示す物証が残っていないのが現状の様です。

世界遺産「富岡製糸場」や「群馬サファリパーク」からも近く、メディアでお馴染の「こんにゃくパーク」もある信長の直近たる次男の系統が脈々と残っている甘楽町に、信長のDNAを感じに一度訪れてみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/09/10 訪問

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