鮮烈な紅に酔う!京都・高台寺で出会う北政所“ねね”の思いを秘めた秋景色

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鮮烈な紅に酔う!京都・高台寺で出会う北政所“ねね”の思いを秘めた秋景色

鮮烈な紅に酔う!京都・高台寺で出会う北政所“ねね”の思いを秘めた秋景色

更新日:2016/10/08 18:34

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ アマチュア写真家

正妻として貧しい時代から秀吉に寄添い、支え続けた北政所・ねね。秀吉の死後は出家して高台院湖月尼と号します。そのねねが秀吉の菩提を弔うために高台寺を開創したという話はご存知の方も多いでしょう。
1606年に開創してから約400年。火災があって多くの堂宇を失いながらも当時の建物が今も残る敷地内。その建物を包む庭は、秋になるとまるでこの寺を作った女性の気持ちのように鮮やかな紅に染まるのです。

駆け昇る龍のごとく

駆け昇る龍のごとく

写真:万葉 りえ

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清水寺から続く産寧坂・二年坂と、八坂神社の奥にある丸山公園とをつなぐ道。現在は御影石を敷き詰めて石畳となったこの道は、この地で晩年を過ごした北政所・ねねにちなんで「ねねの道」と呼ばれるようになっています。

このねねの道の東側に、秀吉とねねを祀っている高台寺があります。広い敷地の中で秀吉とねねが祀られているのは、少し高い位置にある霊屋(おたまや)と呼ばれている建物。霊屋内の須弥壇(しゅみだん)や厨子(ずし)に施された桃山時代の華麗な蒔絵(まきえ)は「高台寺蒔絵」と名前が付けられるほどのものです。

その霊屋へと昇っていく渡り廊下は、臥龍廊(がりゅうろう)と名が付けられています。渡り廊下の屋根が龍の背のように見えることが名前の由来なのですが、名もない貧しい農民から天下人へと、まさに駆け上って言った秀吉とねね。龍が天に昇るがごとく進んでいった二人の人生も、この名に重ねられていると思いませんか。

龍の背が、いっそう華やかになる秋

龍の背が、いっそう華やかになる秋

写真:万葉 りえ

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臥龍楼では、秋になると周りの木々が華やかに色づいた枝を差し伸べます。金の茶室をはじめとして華やかなものが好きだった秀吉。関白であった時代の城の中の華やかさとは別物ですが、夫の好みをねねが思いやるように龍の背に鮮やかな色に染まった葉が揺れます。

霊屋と臥龍廊でつながるのが開山堂。霊屋には秀吉とねねの木像が祀られているのですが、開山堂にはねねの兄・木下家定、そして兄嫁の木造が安置されています。生前、秀吉夫婦をかげで支えてきたねねの兄夫婦。今でも当時と同じように妹夫婦を支えているようです。

家康が援助した、壮麗な寺院

家康が援助した、壮麗な寺院

写真:万葉 りえ

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秀吉の没後に、ねねは朝廷から高台院という名を賜ります。それを機に思い立ったのが、秀吉の菩提を弔うための寺造りでした。

関ケ原の合戦が終わり、徳川家康が征夷大将軍についたのが1603年。大阪城では豊臣秀頼とその生母・茶々が主として過ごしており、豊臣方につく大名も少なくはない頃です。また、秀吉とねねに幼少よりかわいがられた福島正則や黒田長政らが、関ケ原の合戦で徳川方についたということもあったでしょう。家康は高台寺の造営に際して、かなりの資金援助を行っています。

そのおかげで寺は荘厳を極めたといいますが、庭もその伽藍にふさわしい造り。小堀遠州の作と伝えられています.ここに祀られた女性の生き様に負けないほど鮮やかな紅が、今も人々を魅了します。

ねねの名を表すごとく

ねねの名を表すごとく

写真:万葉 りえ

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「高台院湖月尼」と名乗ることになったねね。東山の地形を使って斜面に建物が配置されている高台寺ですが、その名前のように二つの池が作られています。

臥龍廊のほかにも建物をつなぐ廊下が池の上も渡っているのですが、途中には檜皮葺で4本の柱を持つ観月台も設けられています。この観月台、じつは秀吉遺愛のもの。ねねの名に「月」という言葉が入ったのも、秀吉と見た月の思い出かあるからなのかもしれません。空に輝く月がこの池にも映ったはず。ねねはそれをどんな気持ちで眺めたのでしょうね。

自然豊かな東山のふもとなので、アオサギが悠々と過ごす池。鮮やかな紅葉がひときわ目をひきますが、穏やかさもある風景を創り出しています。

大坂城の落城を見届けた、利休意匠の茶室のそば

大坂城の落城を見届けた、利休意匠の茶室のそば

写真:万葉 りえ

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敷地内の高い位置には、竹藪などを抜けると茶室が設けられています。

大坂夏の陣で秀吉の遺児・秀頼と茶々も大坂城とともに散っていきました。遠く大坂城が炎上する様子を、ねねはこの茶室のそばから見ていたと伝えられています。

ねねを慕って多くの人がこの地を訪れていたので、この戦の大勢はねねにもわかっていたでしょう。諸行無常というものの、秀吉とともに歩んできた日々は、ねねの心の中に鮮明なまましまわれていたはずです。

秀吉が切腹を命じた利休が意匠し、伏見にあったものを移築してきた傘亭と時雨亭。このそばで街を見下ろすときには、そんな歴史を思い出していただければと思います。

400年前に思いをはせながら

ねねが開創した寺は、1624年に建仁寺の三江和尚を開山としてむかえてから高台寺と号するようになりました。建仁寺は祇園のほうへ向かってここから近い場所にあります。下記関連MEMOを参考に建仁寺の有名絵画もぜひどうぞ。

史実でご存知のように、たくさんの側室がいたにもかかわらず秀吉の世継ぎとなる子を産んだのは茶々一人。心中ではいろいろな思いが吹き荒れていたのかもしれません。しかし、個人としてよりも、もっと高い位置から時代の流れを見ていたねね。

そして、秀吉と今も霊屋で寄り添っているのは、ねねなのです。
秋が深まったら、ねねの気持ちがあふれ出たような鮮やかな紅に染まる高台寺を訪ねてみませんか。

掲載内容は執筆時点のものです。

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