二代目皇帝ティベリウスは、島の西のはずれに広大な邸宅を設けます。このVilla Jovis(ヴィラ・ヨヴィス)に行くには、ウンベルト一世広場から45分ほど歩かなければいけません。とはいえ、花々が咲き乱れる(現代の)別荘や、眼下に白い波が泡だつ海を眺めながら辿る小道は、溜息が出るほど美しい、散歩好きにはたまらない小道です(イタリアで一番美しい小道だとひそかに思っています)。
つる草模様の鉄の門の向こうの、静まり返ったお庭をのぞき込んだり、きらめく海の先に島の影を眺めたり、二千年前と同様、頭上を我が物顔に飛び回るカモメたちを道連れに歩いていると、45分はあっという間です(写真撮影に夢中になるともう少し時間がかかるかもしれませんが...)。
秋には夏の名残りのバラやブーゲンビリア、ツワブキと並んで、ツタの葉が真っ赤に染まります。冬になっても、カプリ島固有のクロッカスや西洋ヤマモモなど、花は絶えることがありません。春を迎えるころには、島の斜面がエニシダの金色に覆われます。その他にも香りのよいレモンの白い花や紫のローズマリーや、日本では見かけることのないたくさんの花々に出会えます。
この魅力的な散歩道を色どるものがもう一つあります。家々の玄関に張られている、マヨルカ焼きの鳥や植物の絵タイルです。鷹の絵が描かれていて「La Falconetta」と文字があれば、その家は「小さな鷹屋敷」ということになります。
マヨルカ焼きのプレートは玄関の表札ばかりではありません。ヴィラ・ヨヴィスはこちら、と矢印と共に描かれた案内版も、壁にさりげなくはめ込まれたイラスト地図入りのトラットリアの宣伝広告も、色合いも線も柔らかな焼き物なのです。
さて、ヴィラ・ヨヴィスに着いてみれば、なんとヴィラの履歴を記した案内版もマヨルカ焼きで、3枚×2列に並べられた6枚のタイルが、手書き文字の解説と構内図でした。
日本のガイドブックはこのヴィラ・ヨヴィスを「ティベリウス帝の別荘」と記していますが、7000平方メートルにも及ぶヴィラに「別荘」という呼び名は似合いません。ヴィラは邸宅という意味ですが、むしろ宮殿と呼ぶほうがふさわしいでしょう(ヴィラ・ヨヴィスはティベリウス帝が建てた12のヴィラのうちの一つです)。
初代皇帝アウグストゥスは、所有していた隣の⼤きな島イスキアと交換するほどカプリ島が気に入ったのですが、あくまで別荘地としてしか考えていなかったようです。ところがティベリウスは、皇帝の任にあった紀元14年から37年のうち後半生の10年ほどをカプリ島に暮らし、この「別荘」から広大なローマ帝国を統治するのです。
もちろん政治の中心は元老院、今でいう議会のあるローマです。にもかかわらずティベリウスは、インターネットも電話もテレビもない時代に、帝国統治の数々の指令をこんな小さな島から発信していたのです。よほど島を愛していたからか、あるいはよほどローマという政治の「中央」に嫌気がさしていたのか。とはいえ、決して統治をおろそかにしたわけではありません。ローマ帝国の優れたシステムと人材があってのこととはいえ、やはり並外れた権力者だったのは確かです。
レンガ造りの屋敷跡から海に落ちる崖を眺め、遺跡の広い部屋部屋を思う存分歩き回ってふと気が付くと、陽が西に傾いているはず。名残惜しいけれど、そろそろホテルに帰る時間です。来るときの青い空と海が、茜色に邸宅の屋根とヤシの木のシルエットに姿を変え、見送ってくれるでしょう。
もしカプリ島で青の洞窟に入れなくても(あるいは入れても)、少し時間をとれるようなら、ウンベルト1世広場をぶらつくだけではなく、花々とマヨルカのタイルの小道をたどり、皇帝の栄華と夢のあとを訪ねてみてはいかがでしょう。
洞窟の幻想的な青に加えて、皇帝を幸福感で満たしたであろう様々な色合いの景色も、きっとあなたの旅の思い出を豊かなものにしてくれると思います。
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(2024/10/14更新)
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