両国駅から徒歩10分、江戸東京博物館の北にある都営の公園が「横網町公園」です。公園なので常にオープンですが、通常の公園とまったく違う雰囲気に圧倒されるかもしれません。公園入口正面から入るといきなり大伽藍ですから。
この建物がこの公園の歴史を物語ってくれます。これは東京都慰霊堂であり、大正11年の関東大震災の遭難死者と昭和20年の東京大空襲による殉難者あわせておよそ163,000体の遺骨が内部に安置されています。特に関東大震災の時はこの公園(当時は被服廠跡と呼ばれていました)に多くの人々が避難した際、四方からの火災旋風によって最も多くの犠牲者を出した悲しい場所なのです。
ちなみに両国という土地柄のためか間違われやすいのですが、公園名は横綱(よこづな)ではなく横網(よこあみ)ですので道を尋ねる際はご注意を。
関東大震災のすさまじさとそこからの力強い復興、その後の空襲による焦土化から再びの復興と東京は二度も灰塵に帰しながら、復興を遂げた歴史があります。
その歴史を貴重な資料とともにまとめたのが園内にある、「東京都復興記念館」です。この建物も重厚で歴史を感じさせますが、それもそのはず昭和6年築の建物です。空襲を逃れた時代の生き証人ですね。中には関東大震災のすさまじさとその後の復興の模型(実際に被災後各地で行われた復興博覧会で展示された東京各所のジオラマ)、戦災関連資料など貴重な資料・写真のオンパレードです。
特に震災後のアメリカ、イギリス、中華民国などの各国からの支援物資の陳列は、時を超えて助けあう人類不変の精神を感じます。官民一体で復興に向けて活動してきた東京の影の側面を知る貴重な記念館といえるでしょう。
ちなみにこの建物横に「鉄の塊」が展示されていますのでお見逃しなく。関東大震災で破損し、そして火災旋風で焼け焦げ溶解した当時の機械類で、いかに関東大震災のインパクトがすさまじかったかを物語っています。
公園内にひときわ目を引くきれいな花壇があります。これも東京大空襲で亡くなられた8万余名の犠牲者名簿を内部に収めている平和の碑であり、「記憶の場所」と呼ばれています。毎年、大法要の行われる東京大空襲の3月10日と関東大震災の9月1日には都民の寄付によって造られたこの碑の内部に入ることができ、公開された犠牲者名簿を見ることができます。
なお斜面を覆う花壇のデザインは毎年都内の小・中・高校生による公募によりシーズンによって変化しますので、いつ行っても新鮮な印象で、公園のシンボル的な存在ですね。
都民のための公園ですので園内には普通に子供の遊具もあるのですが、上述のように厳かな場所であると知れば知るほど、精神的に疲れるかもしれませんね。
そんな時は園内にある日本庭園で一休みを。池ではコイが泳いでおり、リラックスムードが漂います。振り返れば東京スカイツリー(同じ墨田区内の押上にあります)を眺めることができ、園内で唯一!?のんびりするのに適した場所といえるかもしれません。
慰霊堂の中では都民の方や犠牲者の遺族の方でなくても誰でもご焼香ができるようになっています。ろうそくは一本30円とリーズナブルですので、迷わず追悼と復興に祈りを捧げましょう。
なお慰霊堂の中には写真家、石川光陽氏が決死の思いで撮った東京大空襲の写真が多数展示されています。戦後GHQからのネガ提出命令を拒み守り続けた写真の数々が後世にこういった形で貴重な記録として残されることになったわけです。刮目しなければいけませんね。
加えて、犠牲者の分まで夢をかなえようとする決意を表明するゆめ供養(ゆめ塔婆に自身の夢を書き込む)も300円で行っているので、ぜひこちらもどうぞ。
公園も慰霊堂もさらに復興記念館もすべて入るのは無料!うれしいですね。
ちなみに墨田区では3M運動と呼ばれるモノづくりに関する、博物館(Museum)、工房ショップ(Manufacturing shop)、マイスター(Meister)をつなげてアピールする運動を行っています。その博物館のひとつ「NTTドコモ歴史展示スクエア」がすぐ隣の敷地にあり、こちらも無料なので、併せて気軽に訪れることができると思います。
(詳細は関連MEMOの別記事をご覧ください)
また両国駅には「江戸東京博物館」が隣接しています。復興記念館と一緒に見ることで中世〜近代までを通して江戸・東京の歴史を学べますのでオススメですね。
ではお気をつけていってらっしゃいませ〜
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/10/10更新)
- 広告 -