哀しみくすぐる秋の奥吉野!西行庵・義経隠れ堂は“愛の物語”の聖地

| 奈良県

| 旅の専門家がお届けする観光情報

哀しみくすぐる秋の奥吉野!西行庵・義経隠れ堂は“愛の物語”の聖地

哀しみくすぐる秋の奥吉野!西行庵・義経隠れ堂は“愛の物語”の聖地

更新日:2016/10/19 10:47

沢木 慎太郎のプロフィール写真 沢木 慎太郎 放送局ディレクター、紀行小説家

桜で有名な奈良・吉野。その山奥深く、「奥千本」にひっそりたたずむ「西行庵」。高貴な身分を捨て、生涯を旅と歌にささげた西行が世捨て人となって暮らした庵です。華やかな桜の季節と違って、秋の明るい陽だまりに抱かれた西行庵は、色鮮やかな紅葉に囲まれ、透き通った哀しみや儚さが感じられる聖地。近くには、追っ手から逃れるために隠れた義経のお堂もあります。歴史に沈んでいった西行と義経の“愛の物語”へ旅しませんか?

透き通る秋が美しい奥吉野!まるで別世界の静けさ

透き通る秋が美しい奥吉野!まるで別世界の静けさ

写真:沢木 慎太郎

地図を見る

透き通る秋が美しい奥吉野。世界文化遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」の始発点で、そこは霊界への入り口。柔らかな秋の日差し。紅葉の小枝を通り過ぎる風。野鳥のさえずり。 散り紅葉も美しく、別世界のような静けさを味わいながらの散策はとても清々しい。

吉野へは、京都から近鉄特急で約90分。京都を観光したら、少し足を伸ばして吉野に訪れるのも良いでしょう。修験道の聖地・吉野。「下千本」を過ぎ、世界遺産の「金峯山寺・蔵王堂」や「吉水神社」がある「中千本」へと続きます。多くの観光客が訪ねるのはこのあたりまでなのですが、「奥千本」には世界遺産の「吉野水分神社」や「金峯神社」といった風情のある神社があり、さらに奥に進んだところにあるのが「義経隠れ堂」「西行庵」。聖地らしい静けさが漂い、“わび・さび(佗・寂)”の情緒が感じられます。

跡ぞ恋しき…愛する人との決別「義経隠れ塔」

跡ぞ恋しき…愛する人との決別「義経隠れ塔」

写真:沢木 慎太郎

地図を見る

奥千本へはかなり距離があるため、バスで一気に「奥千本口バス停」に向かうのがおすすめ。“修行門”と書かれた巨大な鳥居をくぐり、ゆるやかな坂道を登った先にあるのが「金峯神社」。吉野山の地主神を祀った神社で、ここから3分ほど坂道を下ったところにあるのが「義経隠れ塔」です。義経が身を隠したお堂で、神々しいたたずまい。

“牛若丸”こと、源義経。平安時代末期に壇ノ浦の合戦で平氏を滅ぼし、最大の功労者となりますが、兄の源頼朝の怒りを買い、朝敵(天皇および朝廷に敵対する勢力)とみなされることに。義経は、弁慶や恋人の静御前と一緒に追っ手から逃れるために吉野へ。しかし、吉野が戦乱に巻き込まれることを愁い、さらに山奥へと逃げます。そこは、女人禁制の厳しい修験地。義経は静御前に言います。「これ以上は、連れていけない」。義経は、静御前を道連れにしたくなかったのでしょう。愛しい人と別れて、雪山へと消えてゆきます。

義経が自刃した後、静御前は頼朝に白拍子の舞を命じられますが、その時に詠んだ歌が、「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
義経を慕う歌に、頼朝は激怒。かろうじて頼朝の妻・北条政子に助けられますが、命を懸けて恋しい人の歌を詠んだ静御前。彼女の情念には目を見張るものがあります。

心くすぐる秋の哀しみ…紅葉に埋もれる「西行庵」

心くすぐる秋の哀しみ…紅葉に埋もれる「西行庵」

写真:沢木 慎太郎

地図を見る

杉木立に囲まれた「義経隠れ堂」から、桜並木の続く山道を歩き、「西行庵」へと向かいましょう。冒頭の写真が、「義経隠れ堂」から「西行庵」へ向かう山道です。いにしえから神々の宿る聖地として崇められた大自然が感じられる場所。散り紅葉やススキを柔らかく照らす秋の光。枯れた桜の枝を通り抜ける風。まるで別世界の入り口にいるような静けさ。寂漠とした山道は風情があります。

手すりが整備されていますが、途中で崖のようなところもあり、高いところが苦手な方はちょっと怖いかも。「義経隠れ堂」から20分ほど山道を歩き、沢からせりあがった急な斜面のわずかな平地にぽつんと建っているのが写真の「西行庵」。ここが、吉野山の最深部。西行が世俗を離れて暮らした庵はあまりにも小さく、ずいぶんと寂しいところ。秋の深まりに色づくカエデ。苔庭を埋め尽くす散り紅葉。透き通る秋の哀しみに心がくすぐられます。

23歳の若さで出家、西行が見つめた奥吉野の静寂

23歳の若さで出家、西行が見つめた奥吉野の静寂

写真:沢木 慎太郎

地図を見る

こちらが、「西行庵」の正面です。西行は平安時代末期に登場し、月と花を愛する漂泊の歌人として旅を続けました。藤原鎌足を祖先に持つ、裕福な武士の家系に生まれましたが、官位も妻子も捨て、23歳の若さで出家。親友の死や皇位をめぐる争いへの失望感、高貴な年上の女性との失恋など、出家の理由にはさまざまな憶測がありますが、西行は何も書き残していないので、それは誰にもわかりません。

しかし、西行が残した歌の多くから、その心の内を感じることができます。
「吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも 添はずなりにき」
吉野の桜を見た日から、すっかり身も心も奪われて落ち着かなくなった、と詠んだ歌ですが、これは旅の始まりの歌。西行という名前は、“西へ行く人”の意味があり、そこに込められた想いは西方浄土への憧れ。西行が奥吉野の庵で暮らしたのは3年間。山奥の小さな庵で誰とも会わず、口をきくこともなく、西行は何を見つめ、何を想っていたのでしょう。

雨風吹き抜ける粗末な庵で

雨風吹き抜ける粗末な庵で

写真:沢木 慎太郎

地図を見る

自然の木を合わせて作られた西行庵は、三畳ほどの広さしかなく、印を結んだ西行の木造座像が安置されています。障子も戸もなく、雨風が吹き抜ける粗末な庵。聞こえるのは風の音と、野鳥のさえずりだけ。西行はここに座り、散りゆく桜や紅葉、雪に埋もれた銀世界を見つめていたのでしょう。可愛い盛りの子どもと妻と決別し、厳しい修行の旅を選んだ西行。その胸中は知るよしもありません。

西方浄土、悟りの世界に強く憧れながらも、現世との確執の中で、月や花に心を寄せて、ひたすら歌を詠み続けました。素直な気持ちで自然に向きあい、孤独や寂しさを飾らずに語り、死の間際に一首の歌を詠みます。

「願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」

桜の花のもとで死ぬことに最高の美を求めた西行。しかし、これほどまでに西行が花に思慕を寄せたのは、愛する人の面影を、その人の死を、散りゆく花に見いだしたからでしょう。生きる苦しみと孤独の中から、儚い花の美しさに、みずからの愛を昇華させた時、西行は歌人としての頂点を極め、ロウソクの炎が消えるように静かに入滅したのです。

秋の奥吉野への旅

「西行庵」からほど近い場所に、「苔清水(こけしみず)」と呼ばれる清らかに澄んだ湧き水があります。西行が喉をうるおした水で、800年以上昔の歌人の気配が感じられます。江戸時代の俳人、松尾芭蕉が西行を慕ってこの地を訪れています。

「苔清水 とくとくと 落つる岩間の 苔清水 汲みほすほども なき住居かな」(西行)
「露とくとく試(こころみ)に浮世すすがばや」(芭蕉)

芭蕉は生涯に二度、「西行庵」を訪ね、
「春雨の 木下(こした)につたふ 清水哉」(芭蕉)
という句も残しています。

この世は儚く、愛も人生も長続きはしない。世の中、そんなに楽しいことばかりじゃない。そんなブルーな気分を和らげてくれるのが、ひっそりとした日本の美しい秋が感じられる奥吉野。明るく透き通る秋の哀しみの聖地で、歴史の流れの一滴として消えていった愛の物語に、思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/11/14 訪問

- PR -

条件を指定して検索

LINEトラベルjpで一緒に働きませんか?

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ

- PR -