写真:林 ぶんこ
地図を見る松山道を内子五十崎ICで下りて約1時間半、鹿野川ダムを越えて山深い四国山地を登って行くと、突然暗い森がぱっと開け田園地帯がまぶしく目の前に広がります。この現代の桃源郷のような山里が野村町惣川天神地区です。坂本龍馬脱藩の道で有名な高知県梼原町の韮が峠からは近く、梼原街道を野村方面に16km程度下った所にあります。
東に四国カルストの大野ヶ原(1,100〜1,500m)南に雨包山(1,111m)を望むこの地区は標高500mに位置し、雲湧き、星降る里と称される天空の里です。
人口は400人を割り、今では典型的な限界集落ですが、かつて江戸〜明治の時代は伊予と土佐の国境を行き交う旅人で賑わう宿場町でした。最盛期には4000人以上が住んでおり芝居小屋までありました。
写真:林 ぶんこ
地図を見る寛文8年(1668年)から始まった庄屋土居家。藩政の頃は脱藩、国越えを抑えるために国境の村を治める庄屋は、普通の庄屋よりも強い権力を幕府から与えられていたのだそう。
土居家も宇和島藩から苗字帯刀を許された格の高い豪勢な庄屋でした。造り酒屋もしており、土間には酒米を蒸していた大きな窯が今に残されています。標準的な茅葺き民家の4倍はある大きな屋敷は1827年の建築とされ、幅25m、奥行き12m、高さ13m、建坪数91の堂々とした造りで茅葺き木造民家としては四国最大級、藩主も何度か宿泊したことがあるそう。
かまどや囲炉裏の煙で黒くすすけた大黒柱は松の巨木から切り出されたもので、一辺が52p、長さが10m。四国最大級、40トンもの巨大な茅葺き屋根を支える梁とともに1827年に作られた当時のもの。本座敷の欄間は畳一畳分もある一枚板が2枚も使われており、襖絵は宇和島藩お抱えの絵師荒木鉄操の画、と豪華。栄華を誇っていた庄屋屋敷の昔がしのばれます。
写真:林 ぶんこ
地図を見る土居家母屋は昭和43年に町の有形文化財に指定されました。その頃までは土居家の人々の住居として使われていましたが、年々傷みがひどくなり、貴重な歴史遺産を後世に残すべく西予市が管理することとなり、平成10年に建築当時の姿そのままに復元され、よみがえりました。
今の土居家の正式名称は「茅葺き民家交流館土居家」と言い、母屋に隣接する蔵は研修施設になっており、ギャラリーなどとして使われています。
写真:林 ぶんこ
地図を見る蔵の一階は「地域食材供給室」と名付けられたレストランになっています。地元の食材をメインにオムライスや丼物、定食がリーズナブルなお値段で美味しくいただけるとあって、地元の人たちもよく食べに来ています。
とんかつ定食はこんなにボリュームがあって850円也。写真には写っていませんが、伊予名物麦味噌汁もついています。手前がひれかつ定食で奥がロースかつ定食。どちらも同じお値段で召し上がれますよ。
写真:林 ぶんこ
地図を見る銀閣寺に似た佇まいの離れは明治時代の建築で、当時の姿のままに修復されています。天井の低い茶室風の造りになっており、床の間や戸袋に施された鏝(こて)絵が見事です。
明治の粋が随所に感じられるこちらの離れに、一日一組限定で宿泊することが出来ます。意外ですが、テレビもあって冷暖房完備です。お風呂も、母屋と離れをつなぐ渡り廊下に現代の普通のお風呂があります。
食事は母屋の広間か囲炉裏端、あるいは蔵の一階と宿泊者が希望する場所で取ることが出来ます。宿泊がある場合は母屋が21時頃までライトアップされ、闇に浮かびあがる幻想的な母屋の風情が楽しめるようになっています。
天空の里と言われるだけあって、惣川天神地区へのアクセスは簡単ではありません。だからこそ、暗い森が続く山また山を抜けて、田園地帯が目の前にパッと開けた時の空の明るさに感動し、たどり着いた時の喜びはひとしおになります。それにそういう場所だからこそ、タイムスリップしたような懐かしい日本の原風景がそのままに残っているのですね。
そしてせっかくここまで来たのなら、ぜひ土居家に一泊してゆったりと流れる山里の時間を堪能してみてください。今からの季節、山一面が真っ赤に染まる紅葉ももちろんですが、降ってくるような満天の星空、靄にけむる幻想的な里の朝など、ここでしか体験できない感動がいっぱいの思い出深い旅になること、お約束します。
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(2024/10/16更新)
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