写真:島塚 渓
地図を見る南禅寺界隈にある明治時代に作られた施設の多くが「疏水事業」に関するものです。この「疎水事業(琵琶湖疏水といったほうが一般的かもしれません)」とは、琵琶湖でくみ上げた水を、水路を使って京都まで運び込もうという、超大がかりな事業です。水路を整備することで船による輸送能力を高めるとともに、農業用水や飲料水、さらには水力発電所としても利用しようという、一石三鳥にも四鳥にもなる計画でした。
当時の京都は首都が移ったことで、停滞ムードに支配されていた状況。産業は急激に衰退し、人口も減少していました。そんな京都の産業の振興を図ろうと導入されたのがこの疎水事業。大変な難工事で死者も十数人でましたが、明治23年(1890年)に念願の水路が完成します。
現在、琵琶湖疏水記念館として整備されている一帯は、かつてインクラインに乗る船が待機するための場所。そして左側にある噴水は琵琶湖疏水の高低差による水圧だけで噴き上がり、電気を必要とせずとも24時間水を噴出し続けているんです。
写真:島塚 渓
地図を見る南禅寺の境内のなかにあってひときわ目を引くのが「水路閣」。これも先ほど紹介した琵琶湖疏水の一部で、哲学の道に沿って流れる疏水分流へとつながっています。全長約93メートル、幅4メートルという超巨大な建造物で、まずはその迫力に圧倒されることでしょう!
「水路閣」建設当時は古都の景観を害するとして反対の声もあったようでしたが、今では苔むした味わいのあるレンガが、周りの風景に不思議と溶け込んでいます。こんなオシャレな洋風デザインとお寺の風情をミックスさせるような大胆さが京都の面白さではないでしょうか。ちなみにこの水路閣は120年以上経った今でも現役で、上を疎水が流れているんですよ。
写真:島塚 渓
地図を見る水路閣と共に国の史跡に指定されているのが「蹴上(けあげ)インクライン」。疎水は琵琶湖から南禅寺の前まで流れてきますが、この付近の高低差が36mあるため、そのままでは船の行き来ができません。そこで船ごと台車に載せ、ワイヤーロープで動かして運ぶ仕組みが作られます。
「蹴上インクライン」は現在ではすでに使用されていませんが、台車と木造船が復元され、かつての様子を偲ぶことができます。貨物まで忠実に再現されており、酒樽には「伏見の清酒」という文字が……。酒どころとして有名な伏見のお酒をこうして船で疎水の東端の大津まで運んでいたようですね。
写真:島塚 渓
地図を見るインクラインの線路下にあるトンネルは、通称「ねじりまんぽ」と呼ばれています。「まんぽ」とは方言でトンネルの意味。レンガがらせん状に積まれ、ねじれている様子から「ねじりまんぽ」という名前がつけられています。
この上を台車に載せられた船が行き来するため、その重みに耐えられるようにレンガを直線的に組まずに、らせん状にねじれたように組んで作られています。トンネルの強度を保つための工夫が、こうして美しい景観を生んでいるのです。
南禅寺界隈に残る明治時代の建造物を紹介しました。水路閣を中心にオシャレな雰囲気を残しているのが、このエリアの特徴です。
さらには見た目の美しさだけではなく、明治の人たちの心意気も感じることができるのではないでしょうか。首都が東京に移るなかで、新しい時代に取り残されまいとする、京都の人の意地を感じられるエリアとなっています。
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