京都・長岡京「勝竜寺城公園」ガラシャの幸せと父光秀最期を語る城跡

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京都・長岡京「勝竜寺城公園」ガラシャの幸せと父光秀最期を語る城跡

京都・長岡京「勝竜寺城公園」ガラシャの幸せと父光秀最期を語る城跡

更新日:2016/10/28 09:29

塚本 隆司のプロフィール写真 塚本 隆司 ぼっち旅ライター

戦国時代を代表する美女・細川玉(珠、玉子)を知っていますか?
キリシタンで洗礼名「ガラシャ」といえば、分かる人も多いのでは。父は、本能寺の変を起こした明智光秀。謀反人の娘、関ヶ原合戦前の悲壮な最期が語られることが多い彼女が、幸福な時を過ごした城がある。京都府長岡京市にあった「勝龍寺城」だ。父・光秀が最後の戦いを繰り広げた場所でもある。
今は公園として整備されている「勝竜寺城公園」を紹介しよう。

幻の都「長岡京」があった地

幻の都「長岡京」があった地

写真:塚本 隆司

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JR長岡京駅や勝竜寺公園がある辺りは、古くから栄えていた。
奈良時代の終わり、桓武天皇(737〜806年)は都を平城京から長岡京へと遷都。この地が、日本の中心地となったのだ。わずか10年で、平安京(京都市)へと遷都したため「幻の都」とも呼ばれることになるが、平城京や平安京に引けをとらない大規模な都だったという。

勝竜寺城公園の北東に神足(こうたり)神社がある。名は、桓武天皇が「神が天から降り立ち、都を襲う悪霊を防いだ夢を見られた」ことに由来している。夢の内容からも連想できるが、古くから水運に恵まれ、西国街道など交通上の要衝として、京都の防衛に重要な役割を果たしていたようだ。ちなみに神足神社のお守りは「神の足」にあやかりたいスポーツ選手らが身につけている。

勝龍寺城は、織田信長が足利義昭を奉じて入京した後、細川藤孝が二重の堀を持つ頑強な城に改修したといわれている。写真は、神足神社の隣にある土塁や空堀の跡。敵兵を深い堀と高い土塁に挟まれた土橋に集中させたうえで、横合いから矢を射かける「横矢掛かりの虎口」の跡が残っている。

櫓の中には資料室

櫓の中には資料室

写真:塚本 隆司

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勝龍寺城跡は、1992年に公園として整備され、2007年には日本の歴史公園100選に選ばれた。桜が咲く季節は特に美しく、ライトアップもされる。

園内は大きく2つに分かれ、ひとつは沼田丸跡。10台ほどの無料駐車場や広場があり、堀や帯曲輪(おびくるわ)跡が見つかっている。説明板がしっかりしているので、城めぐり初心者でも楽しめるだろう。

もうひとつの本丸跡は、堀と塀に囲まれている。利用時間や休園日(火曜日)があるものの、入園料は無料だ。中は、池のある日本庭園で、隅櫓(すみやぐら)や沼田丸とを結ぶ通路などの遺構が残っている。
櫓を模した2階建ての管理棟の1階は、冷暖房が完備された休憩室だ。2階では勝龍寺城の歴史や細川ガラシャに関する資料、発掘調査の様子や出土品の展示が行われている。

今も昔も、豊かな水をたたえる井戸

今も昔も、豊かな水をたたえる井戸

写真:塚本 隆司

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城にとって重要な施設となる井戸だが、勝龍寺城には4つの井戸があったという。今でも「地下水100%の水道水」として利用ができる場所がある。

写真は、本丸跡の「ガラシャおもかげの水」と名付けられた井戸。もちろん、飲むことができる。殿様やガラシャも飲んだ水かと思うと感慨深い。
沼田丸跡にある井戸は、24時間利用できる。駐車場の脇にあり、水をくみに訪れる人の姿が見られる。旅の途中に、歴史ある名水に出会えるのも、勝竜寺城公園の魅力だ。

長岡京市最大のお祭り「長岡京ガラシャ祭り」

長岡京市最大のお祭り「長岡京ガラシャ祭り」

写真:塚本 隆司

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本丸跡でひときわ目を引くのが、細川忠興と玉(ガラシャ)の像だ。玉が輿入れした15歳(16歳とも)の頃をイメージしたものだろうか。
戦国時代を代表する美女と伝わる玉。忠興も美男といわれ、美男美女の結婚式は盛大なものだったと伝わっている。勝龍寺城での生活はわずか2,3年だが夫婦仲はよく、城内で散歩を楽しむこともあっただろう。後にこの地で行われる戦いが、人生を大きく狂わすとは想像もしなかったに違いない。

長岡京市でガラシャといえば、忘れてならないのが「長岡京ガラシャ祭」。勝竜寺城公園が整備されたのを機に始まった祭りで、毎年11月に開催されている。輿入れ行列や長岡市ゆかりの人物に扮(ふん)した歴史行列など、総勢約1000人が練り歩く盛大な祭りだ。
2016年は、11月13日(日)に開催。11月3日(木)からは、ガラシャウイークとして、市内各所で様々な催しが予定されている。

明智光秀最後の戦い、山崎合戦の舞台

明智光秀最後の戦い、山崎合戦の舞台

写真:塚本 隆司

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細川家が丹後・宮津城へと移った翌々年の1582(天正10)年、ガラシャの父・明智光秀が織田信長に謀反を起こした。本能寺の変である。羽柴秀吉と戦った山崎の合戦で、勝龍寺城を背に本陣を置いた光秀だが大敗。勝龍寺城に退却したものの、本拠地・坂本城へと戻るため逃げ出すが、最後は落ち武者狩りにあい、その生涯を閉じた。
園内に光秀が逃げ出たとされる北門跡が残っている。高さ2メートル以上の石垣に囲まれた立派な門だったという。

玉のその後は、謀反人の娘として幽閉されるなど、忠興との関係も勝龍寺城にいた頃とは一変してしまう。幸せな時を過ごした勝龍寺城が、父子共に運命を変えた場所になるとは、皮肉なものである。

気持ちのいい公園「勝竜寺城公園」

勝龍寺城は、江戸時代初期に廃城となり当時をしのぶ建物は、残っていない。されど歴史の面影、とりわけガラシャへの思かったようだ。きれいに整備された勝竜寺城公園から、地域に親しまれている大切な場所であることがよくわかる。

京都で歴史観光といえば、京都市内が注目されがちだが、京都駅から長岡京駅までは、わずか10分ちょっと。長岡京市は、丸一日ゆっくりと楽しめる歴史ある街だ。西国街道沿いの古民家や埴輪が無数に並ぶ恵解山古墳(いげのやまこふん)、長岡天満宮などの歴史的なスポットが豊富。竹林も有名で「竹取物語」の舞台ともいわれている。
天気が良ければ、レンタルサイクルで市内観光するのがいいだろう。勝竜寺公園と周辺は、とても気持ちのいい場所だから。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/09/27 訪問

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