写真:肥後 球磨門
地図を見る芳野旅館はJR肥薩線人吉駅から徒歩 5 分の場所にあります。明治42年(1909年)に人吉相良藩の御典医だった安藤家の屋敷跡を料亭として開業したのが始まりで、昭和5年(1930年)に温泉を掘り当て翌年から旅館として営業を開始しました。
屋敷全体に風水の考えを取り入れた造りで、特に玄関屋根は少し斜めの方向を向いています。門の所で振り返りこの玄関の向きの不思議に気が付くと運気が上がると伝えられているので芳野旅館に宿泊してこの不思議な玄関を確かめてみてはどうでしょうか。運気が上がるといいですね。
明治から昭和初期にかけて建てられた建物が、住居から温泉旅館へと変遷した経緯をよく伝えている点や数奇屋風の風情ある造りになっている点などが評価され平成 25(2013年)に国の登録有形文化財に登録された老舗旅館です。古きよき時代の雰囲気の中で人吉温泉の一夜を過ごしてみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る客室は全部で20あり、それぞれ古い船板や竹細工、珍しい建材を使用した大正ロマン調の造りなど、全ての部屋が異なった造りで料亭時代の趣を今に残しています。
写真は12番の部屋で、壁に水車が埋め込まれた珍しい部屋で壁の色は昭和初期の料亭時代のものがそのまま残っています。この部屋は昔、政治家の談合の場所として使用されたそうですが、刀傷の付いた柱がそのまま残されているのを見ると、当時どのような談合がこの部屋で行なわれていたのかと想像してしまいます。
そのほかにも身分の上下を作らないように床の間が両方ある「両床造り」と呼ばれる部屋など、料亭時代の名残を愉しめる客室が盛りだくさんです。
司馬遼太郎や野口雨情、日本のアンデルセンと呼ばれた久留島武彦などの文化人が数多く滞在した、趣ある部屋に泊まってみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る人吉地方は相良700年といわれるように、明治になるまで領主が変わることなくずっと相良氏が治めた土地で、社寺建築などの古い文化遺産とともに歴史ある日本庭園が残っています。300年を超える芳野旅館の中庭もその一つで、「池泉(ちせん)式庭園」と呼ばれる、池の奥に滝口を設け、水面に頭を伸ばした亀石や築山に羽を立てた鶴石などの見立て石を配置して吉祥を招く見事な庭園で必見です。
人吉城の庭などと供に「相良5大庭園」の一つと云われるこの中庭は自由に出入りが出来るので、温泉入浴の後や出発前のひと時に歴史ある庭園の景色を楽しんではいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る人吉温泉は美人の湯として人気です。芳野旅館の温泉も入浴後はお肌がツルツル・スベスベになる美人の湯で、地下600mから湧き上がる加熱循環なし、源泉掛け流しの100%天然温泉です(ただし夏場は地下水を加水し温度調整あり)。
石風呂と名付けられている石組みの湯船は、大浴場とまでは行きませんが大人が10人くらい入れる大きさなので、毎分およそ180リットルと大量に湧出する温泉が湯船の湯を3時間ほどで入れ替えてしまいます。
効能は、胃腸病、神経痛、リュウマチ、婦人病、皮膚病、アトピー性皮膚炎などで、美肌や健康増進にぴったりのおススメの温泉です。源泉掛け流しの天然温泉にゆっくりと浸かって日ごろの疲れを癒しませんか?
写真:肥後 球磨門
地図を見る芳野旅館のモットーは、前身である料亭の名に恥じないよう地元の旬の食材を使った手造りの会席料理を提供することです。
旅館で使用する食材は、安全安心を考えて準備されています。例えば米は人吉球磨産のひのひかり、使用する水に関しては人吉市水道、旅館の地下水、温泉水など細かく掲示しています。人吉は鮎が名物ですが、その鮎は6月から11月までは天然鮎、それ以外の季節は天然鮎の冷凍保存したものが使用されています。
人吉は山間部にあるため新鮮な海産物は手に入りませんが、それにいたっては「鹿児島から、時々福岡から」などと、仕入れ地を明確にしていて安心して料理をいただくことが出来ます。
地産地消を心がけ、旬のものは旬にと心のこもった手作りの美味しい料理を提供してくれるおススメの温泉旅館です。
司馬遼太郎など多くの文化人に愛された「芳野旅館」は料亭として営業を開始して以来100年を超える人吉温泉の老舗旅館です。
日ごろの喧騒から離れて、純木造の懐かしい香りのする建物や趣向を凝らした庭園を愛でながら、美人の湯と人に優しい料理で癒されてみせんか?
旅館から5分ほど歩けば国宝の青井阿蘇神社があり相良700年の文化にも触れることができるおススメの老舗旅館です。
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(2025/2/10更新)
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